一等駆逐艦



松

排水量基準 1262t, 公試 1506t
長さ垂線間長 92.15m, 水線長 95.0m, 全長 100.0m
全幅9.35m
喫水3.3m
機関2軸減速タービン, 2缶, 19,000shp
速力27.8ノット
兵装12.7cm/40口径両用砲 連装1基単装1基 3門, 25mm対空機銃 24門,
61cm魚雷発射管 四連装1基 4門, 爆雷 36発
乗員?



艦名 計画 建造 起工 進水 竣工
Matsu昭19舞鶴工廠1943. 8. 81944. 2. 31944. 6.28一等駆逐艦1944. 8. 4 戦没
(交戦/父島北方)
[27.40N, 141.48E]
1944.10.10 除籍
Momo昭19舞鶴工廠1943.11. 51944. 3.251944. 6.10一等駆逐艦1944.12.15 戦没
(被雷/マニラ北西)
[16N, 117.39E]
1945. 2.10 除籍
Take昭19横須賀工廠1943.10.151944. 3.281944. 6.16一等駆逐艦1945.10.25 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 7.16 英へ, 解体
Ume昭19藤永田造船1943.12. 11944. 4.241944. 6.28一等駆逐艦1945. 1.31 戦没
(航空攻撃/台湾南方)
[22.30N, 120E]
1945. 3.10 除籍
Kuwa昭19藤永田造船1943.12.201944. 5.251944. 7.25一等駆逐艦1944.12. 3 戦没
(交戦/オルモック湾)
[10.50N, 124.35E]
1945. 2.10 除籍
Maki昭19舞鶴工廠1944. 2.191944. 6.101944. 8.10一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 8.14 英へ, 解体
Kiri昭19横須賀工廠1944. 2. 11944. 5.271944. 8.14一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 7.29 ソ連へ
Sugi昭19藤永田造船1944. 2.251944. 7. 31944. 8.25一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 7.31 中国へ(恵陽)
Momi昭19横須賀工廠1944. 2. 11944. 6.161944. 9. 3一等駆逐艦1945. 1. 5 戦没
(航空攻撃/マニラ西方)
[14N, 120.20E]
1945. 3.10 除籍
Hinoki昭19横須賀工廠1944. 3. 41944. 7. 41944. 9.30一等駆逐艦1945. 1. 7 戦没
(交戦/マニラ西方)
[14.30N, 119.30E]
1945. 4.10 除籍
Kashi昭19藤永田造船1944. 5. 51944. 8.131944. 9.30一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 8. 7 米へ
1948 解体
Kaya昭19舞鶴工廠1944. 4.101944. 7.301944. 9.30一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 7. 5 ソ連へ
Kaede昭19横須賀工廠1944. 3. 41944. 7.251944.10.30一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 7. 6 中国へ(衡陽)
1962-1963 解体
Sakura昭19横須賀工廠1944. 6. 21944. 9. 61944.11.25一等駆逐艦1945. 7.11 戦没
(触雷/和泉灘)
[34.36N, 135.28E]
1945. 8.10 除籍
Nara昭19藤永田造船1944. 6.101944.10.121944.11.26一等駆逐艦1945.11.30 除籍
1948 解体
椿Tsubaki昭19舞鶴工廠1944. 6.201944. 9.301944.11.30一等駆逐艦1945.11.30 除籍
1948 解体
Keyaki昭19横須賀工廠1944. 6.221944. 9.301944.12.15一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 7. 5 米へ, 処分
Yanagi昭19藤永田造船1944. 8.201944.11.251945. 1.18一等駆逐艦1945. 7.14 擱座
(航空攻撃/大湊)
1945.11.20 除籍
1946-1947 解体




ガ島戦半歳の激闘は、ただでさえ劣勢な日本海軍に甚大な損害を与えた。航空兵力の消耗については言わずもがなだが、海上兵力では駆逐艦の損耗がめだった。そもそも日本海軍の駆逐艦は艦隊決戦において敵主力に夜襲をかけることを目的として整備されてきた。しかしガ島戦では緊急輸送に多数の駆逐艦が投入され、本来とは異なる任務で消耗していった。GF司令部でも、このまま駆逐艦の消耗が続けばきたるべき艦隊決戦(結局起こらなかったが)において駆逐艦に重大な不足を生じて艦隊の構成が不均衡なものとなり、戦力発揮に支障をきたすおそれが高いので、駆逐艦による輸送は中止すべきとの議論が起こった。しかしこの時にはすでに駆逐艦不足は深刻な段階に入っていた。
日本では、開戦後もこれまで通り大型駆逐艦の建造を継続していた。しかしこれらの大型駆逐艦は建造に多大の資材工数時日を要し、とても損耗を補填するだけの量を整備することができない。そこで多少の性能低下をしのんでも簡易型の駆逐艦を急速建造して艦隊決戦以外の任務に投入し、大型駆逐艦を温存しようともくろんだ。こうして計画されたのがいわゆる「丁型駆逐艦」で、級はその第一群である。
建造の隘路になるのは機関の製造である。級ではこれまでの大型駆逐艦のような精密大出力の機関の採用をとりやめ、量産体制の確立されていた艦本式タービンを2組搭載することとした。このため速力は27ノットにまで低下したが、量産性は高まった。船体は直線を多用し、工数の削減をはかった。上部構造物も含めて直線的なシルエットを持ち、簡素な構造となった。建造に際してはブロック建造法を用い、電気溶接を使用することで工数を下げることができた。また、当時はまだ特殊鋼の溶接は困難だったので普通鋼を採用した。これも工数の削減と鋼材の製造能力向上に一役買った。ただし、機関の配置はこれまでの缶と機械をそれぞれまとめて配置するものから、缶機缶機のいわゆるシフト配置となった。これは推進軸の傾斜が左右で異なり機関部が左右非対称となるなどの問題があるが、被害を局限して生残性を高める効果があった。
級は昭和19年なかばから次々と竣工し、ほぼ昭和19年いっぱい建造された。これ以降は改良型に生産が移る。本来艦隊決戦以外に充当される予定だった級だが、比島海戦では一部が艦隊に編入された。しかしこれ以降は船団護衛のみが艦隊の任務となったため、不本意ながら本来の任務に専念せざるを得なくなる、という皮肉な状況が生じた。


桜 (1945) - 模型・(株)タミヤ、制作・三十一


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Copyright © Hiroshi Nishida (Misohito), 1999.
Illustration by courtesy of Tensho