Koizumi Kotaro

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小泉鑅太郎(こいずみ・こうたろう 安政5年2月2日(1858年3月16日)~大正14(1925)年3月13日)は、日本の海軍軍人海軍中将。東京都出身。海軍兵学校第8期生。

履歴

  • 明治9(1876)年10月10日、海軍兵学校入校。
  • 明治13(1880)年9月15日、補龍驤乗組。
  • 明治14(1881)年9月15日、命海軍少尉補
  • 明治14(1881)年10月15日、補浅間乗組。
  • 明治14(1881)年11月19日、海軍兵学校卒業。
  • 明治16(1883)年2月23日、補清輝乗組。
  • 明治18(1885)年6月20日、任海軍少尉
  • 明治18(1885)年7月23日、補清輝分隊士。
  • 明治19(1886)年6月26日、補富士山教官兼分隊長心得。
  • 明治20(1887)年12月24日、任海軍大尉。補富士山分隊長兼教官。
  • 明治22(1889)年5月15日、補海軍参謀部第一課員。
  • 明治25(1892)年5月30日、補武蔵分隊長。
  • 明治27(1894)年6月5日、補海軍軍令部出仕。
  • 明治27(1894)年9月21日、補松島分隊長。
  • 明治28(1895)年8月27日、補鎮遠艤装委員。
  • 明治28(1895)年9月28日、補厳島分隊長。
  • 明治29(1896)年4月1日、兼補厳島砲術長。(厳島分隊長兼砲術長)
  • 明治29(1896)年11月2日、補武蔵副長。
  • 明治30(1897)年4月16日、任海軍少佐。補秋津洲副長。
  • 明治30(1897)年10月8日、補佐世保鎮守府参謀兼海岸望楼監督官。
  • 明治30(1897)年12月1日、任海軍中佐。免兼佐世保鎮守府海岸望楼監督官。(佐世保鎮守府参謀)
  • 明治31(1898)年6月28日、補海軍大臣官房人事課課僚。
  • 明治33(1900)年3月14日、補吾妻副長兼回航委員。フランス共和国出張被仰付。
  • 明治33(1900)年10月29日、帰着。
  • 明治34(1901)年2月18日、補敷島副長。
  • 明治34(1901)年8月30日、補平遠艦長。
  • 明治35(1902)年6月5日、補竹敷要港部参謀長。
  • 明治35(1902)年10月6日、任海軍大佐
  • 明治38(1905)年12月12日、補浅間艦長。
  • 明治39(1906)年11月22日、補鹿島艦長。
  • 明治40(1907)年11月15日、補横須賀鎮守府参謀長。
  • 明治41(1908)年8月28日、任海軍少将
  • 明治43(1910)年7月16日、補横須賀予備艦隊司令官。
  • 明治44(1911)年3月11日、補舞鶴海軍工廠長。
  • 明治44(1911)年12月1日、補馬公要港部司令官。
  • 大正元(1912)年12月1日、任海軍中将
  • 大正2(1913)年4月14日、待命被仰付。
  • 大正2(1913)年12月1日、予備役被仰付。
  • 大正7(1918)年2月2日、後備役被仰付。
  • 大正12(1923)年2月2日、退役被仰付。