中島与曽八

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中島与曽八(なかじま・よそはち、慶応4年2月19日(1868年3月12日) - 昭和4(1929)年10月6日)は、日本の海軍軍人海軍機関中将(のち海軍中将)。静岡県出身。海軍機関学校旧第4期生(21名中2位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
慶応4年2月19日(1868年3月12日)
明治20(1887)年7月12日 海軍少機関士候補生 高千穂乗組
明治21(1888)年3月8日 金剛乗組
明治21(1888)年9月17日 海軍少機関士
明治21(1888)年11月18日 筑紫乗組
明治23(1890)年5月13日 迅鯨乗組(水雷術練習)
明治24(1891)年3月3日 迅鯨水雷主機心得
明治24(1891)年6月26日 横須賀水雷隊敷設部附
明治24(1891)年8月16日 迅鯨水雷主機心得/教官心得
明治24(1891)年11月20日 海門乗組
明治25(1892)年12月21日 海軍大機関士 高千穂乗組/水雷主機
明治26(1893)年6月7日 吉野乗組/回航委員(連合王国出張被仰付)
明治27(1894)年3月6日 帰着
明治27(1894)年3月15日 吉野乗組/水雷主機
明治28(1895)年11月18日 鳥海機関長
明治29(1896)年4月1日 鳥海機関長/分隊長
明治29(1896)年4月15日 龍田機関長/分隊長
明治29(1896)年11月2日 金剛機関長/分隊長
明治30(1897)年12月1日 金剛機関長心得/分隊長
明治31(1898)年1月14日 海軍機関学校教官/監事
明治31(1898)年2月22日 海軍機関少監 海軍機関学校監事長
明治32(1899)年9月29日 海軍機関中監
明治34(1901)年4月1日 連合王国駐在被仰付
明治34(1901)年11月21日 命帰朝
明治35(1902)年5月8日 常磐機関長
明治35(1902)年11月8日 海軍大学校教官/海軍省人事局課員
明治36(1903)年11月10日 海軍大学校教官/海軍省人事局局員
明治37(1904)年2月11日 海軍大学校教官/海軍省人事局局員/戦時大本営人事部部員
明治38(1905)年2月1日 横須賀海軍工廠造機部部員
明治38(1905)年4月5日 横須賀海軍工廠造機部部員/海軍機関学校教官
明治38(1905)年6月4日 横須賀海軍工廠造機部部員/検査官/海軍機関学校教官
明治38(1905)年8月5日 海軍機関大監
明治38(1905)年11月27日 横須賀海軍工廠造機部部員/検査官/海軍機関学校教官/海軍大学校教官
明治39(1906)年1月26日 海軍機関大佐
明治40(1907)年5月17日 横須賀海軍工廠造機部部員/検査官/海軍機関学校教官
明治40(1907)年9月16日 連合王国出張被仰付
明治41(1908)年9月30日 命帰朝。造船監督官
明治42(1909)年2月25日 海軍艦政本部部員
明治43(1910)年12月1日 横須賀海軍工廠造機部長
明治45(1912)年2月3日 海軍機関少将
明治45(1912)年6月29日 呉海軍工廠造機部長
大正2(1913)年12月1日 横須賀海軍工廠造機部長
大正4(1915)年2月9日 工学博士
大正5(1916)年4月1日 海軍技術本部第五部長
大正5(1916)年12月1日 海軍機関中将
大正9(1920)年10月1日 海軍艦政本部第五部長
大正10(1921)年9月1日 海軍艦政本部出仕
大正10(1921)年12月1日 待命被仰付
大正11(1922)年12月1日 休職被仰付
大正12(1923)年3月31日 予備役被仰付
大正13(1924)年12月20日 海軍中将
昭和3(1928)年2月19日 後備役被仰付
昭和4(1929)年10月6日 死去 (61)