井出謙治

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井出謙治(いで・けんじ Ide Kenji 明治3年5月9日(1870年6月7日) - 昭和21(1946)年10月30日)は、日本の海軍軍人海軍大将静岡県出身。海軍兵学校第16期生(29名中2位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治3年5月9日(1870年6月7日)
明治18(1885)年11月19日 海軍機関学校生徒
明治20(1887)年7月28日 海軍兵学校生徒
明治23(1890)年4月22日 海軍少尉候補生 筑波乗組
明治24(1891)年1月14日 浪速乗組
明治24(1891)年9月17日 海軍少尉 横須賀水雷隊攻撃部附
明治25(1892)年5月23日 高千穂分隊士
明治25(1892)年10月6日 葛城分隊士
明治26(1893)年4月25日 葛城分隊士/航海士
明治26(1893)年6月7日 吉野分隊士(連合王国出張被仰付)
明治27(1894)年3月6日 帰朝
明治28(1895)年2月20日 鳥海航海士/分隊士
明治28(1895)年7月29日 佐世保鎮守府海兵団分隊士
明治28(1895)年12月27日 海軍大尉 吉野分隊長
明治29(1896)年11月24日 大島航海長
明治30(1897)年11月11日 大島航海長/分隊長
明治30(1897)年11月27日 常備艦隊参謀
明治32(1899)年2月18日 海軍軍令部第二局局員
明治32(1899)年5月13日 アメリカ合衆国留学被仰付
明治33(1900)年8月15日 アメリカ合衆国駐在被仰付
明治33(1900)年9月25日 海軍少佐
明治34(1901)年12月10日 命帰朝
明治35(1902)年7月8日 朝日分隊長
明治35(1902)年12月3日 艦長
明治36(1903)年2月3日 海軍省副官/海軍大臣秘書官
明治38(1905)年1月12日 海軍中佐 海軍省副官/海軍大臣秘書官/海軍省文庫主管
明治38(1905)年2月13日 海軍艦政本部出仕
明治39(1906)年4月4日 第二潜水艇隊司令/艇長
明治39(1906)年11月28日 豊橋艦長/第二潜水艇隊司令
明治41(1908)年2月1日 海軍省出仕
明治41(1908)年2月4日 連合王国出張被仰付
明治41(1908)年9月25日 海軍大佐
明治41(1908)年12月28日 帰朝
明治42(1909)年4月1日 豊橋艦長/韓崎艦長
明治42(1909)年4月17日 豊橋艦長/第一潜水艇隊司令/第二潜水艇隊司令
明治42(1909)年12月1日 海軍省副官
明治43(1910)年8月9日 海軍省副官/造船監督官
明治44(1911)年3月23日 造船造兵監督官(連合王国出張被仰付)
明治44(1911)年6月2日 在連合王国大使館附海軍武官/造船造兵監督官
大正2(1913)年3月6日 命帰朝
大正2(1913)年8月31日 磐手艦長
大正2(1913)年12月1日 海軍少将 呉水雷隊司令官
大正3(1914)年4月17日 呉鎮守府参謀長
大正4(1915)年12月13日 第四戦隊司令官
大正5(1916)年12月1日 海軍省軍務局長/海軍将官会議議員
大正6(1917)年12月1日 海軍中将
大正9(1920)年8月16日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部
大正12(1923)年5月25日 海軍将官会議議員/海軍臨時建築部
大正12(1923)年6月20日 欧米出張被仰付
大正13(1924)年3月30日 帰朝
大正13(1924)年4月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
大正13(1924)年6月11日 海軍大将 軍事参議官
大正14(1925)年12月5日 待命被仰付
大正14(1925)年12月16日 予備役被仰付
昭和10(1935)年5月9日 後備役被仰付
昭和15(1940)年5月9日 退役被仰付
昭和21(1946)年10月30日 死去 (76)