伊地知季珍

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伊地知季珍(いじち・すえたか 安政4年3月26日(1857.4.20)~昭和10(1935)年4月7日)は、日本の海軍軍人海軍中将。鹿児島県出身。海軍兵学校第7期生

履歴

  • 明治7(1874)年10月20日、命海軍兵学寮生徒。
  • 明治12(1879)年9月14日、補筑波乗組。
  • 明治13(1880)年12月17日、命海軍少尉補。命海軍兵学校通学。
  • 明治14(1881)年4月7日、補富士山乗組。
  • 明治14(1881)年9月26日、補筑波乗組。
  • 明治16(1883)年11月2日、任海軍少尉
  • 明治17(1884)年12月4日、補筑波分隊士。
  • 明治17(1884)年12月20日、補天龍分隊士。
  • 明治19(1886)年11月22日、補金剛分隊長心得。
  • 明治19(1886)年12月21日、任海軍大尉
  • 明治19(1886)年12月24日、補金剛分隊長。
  • 明治21(1888)年5月14日、補愛宕分隊長。
  • 明治22(1889)年6月11日、兼補愛宕航海長。(愛宕分隊長兼航海長)
  • 明治22(1889)年6月25日、補武蔵分隊長。
  • 明治23(1890)年1月26日、兼補武蔵教官。(武蔵分隊長兼教官)
  • 明治24(1891)年3月3日、補筑波分隊長。
  • 明治24(1891)年8月6日、補龍驤分隊長兼教官。
  • 明治25(1892)年8月27日、補龍驤砲術長兼教官。
  • 明治26(1893)年10月12日、補橋立砲術長兼分隊長。
  • 明治27(1894)年6月6日、補扶桑艤装委員。
  • 明治27(1894)年6月19日、補扶桑砲術長兼分隊長。
  • 明治27(1894)年7月8日、免兼扶桑分隊長。(扶桑砲術長)
  • 明治28(1895)年2月20日、補常備艦隊参謀。
  • 明治28(1895)年8月20日、補大和副長。
  • 明治29(1896)年4月1日、任海軍少佐。補佐世保鎮守府参謀。
  • 明治29(1896)年4月20日、補扶桑副長。
  • 明治30(1897)年12月1日、任海軍中佐
  • 明治30(1897)年12月28日、待命被仰付。
  • 明治31(1898)年3月1日、補呉海軍造兵廠検査科長。
  • 明治31(1898)年12月27日、補造兵監督官。(連合王国出張)
  • 明治34(1901)年1月11日、命帰朝。
  • 明治34(1901)年4月23日、補武蔵艦長。
  • 明治34(1901)年7月3日、任海軍大佐
  • 明治34(1901)年7月5日、補金剛艦長。
  • 明治35(1902)年10月6日、補浪速艦長。
  • 明治36(1903)年9月26日、補出雲艦長。
  • 明治38(1905)年12月12日、補鹿島回航委員長。(連合王国出張)
  • 明治39(1906)年5月23日、補鹿島艦長。
  • 明治39(1906)年8月4日、帰着。
  • 明治39(1906)年11月22日、補舞鶴鎮守府参謀長。
  • 明治40(1907)年3月12日、任海軍少将
  • 明治41(1908)年5月15日、補呉海軍工廠長。
  • 明治44(1911)年6月5日、任海軍中将
  • 大正元(1912)年12月1日、補第二艦隊司令長官。
  • 大正2(1913)年12月1日、補海軍艦政本部長兼海軍将官会議議員。
  • 大正3(1914)年5月23日、補横須賀鎮守府司令長官兼海軍将官会議議員。
  • 大正4(1915)年9月23日、補呉鎮守府司令長官。
  • 大正5(1916)年12月1日、補海軍将官会議議員。
  • 大正6(1917)年3月26日、後備役被仰付。
  • 大正11(1922)年3月26日、退役被仰付。