保科善四郎

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保科善四郎(ほしな・ぜんしろう Hoshina Zenshiro 明治24(1891)年3月8日 - 平成3(1991)年12月25日)は、日本の海軍軍人海軍中将宮城県出身。海軍兵学校第41期生(118名中28位)、海軍大学校第23期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治24(1891)年3月8日
大正2(1913)年12月19日 海軍少尉候補生 吾妻乗組
大正3(1914)年8月11日 安芸乗組
大正3(1914)年8月21日 伊吹乗組
大正3(1914)年12月1日 海軍少尉 第二南遣枝隊司令部附
大正3(1914)年12月28日 富士乗組
大正4(1915)年6月30日 吾妻乗組
大正5(1916)年9月1日 金剛乗組
大正5(1916)年12月1日 海軍中尉 海軍水雷学校普通科学生
大正6(1917)年6月1日 海軍砲術学校普通科学生
大正6(1917)年12月1日 千歳乗組
大正7(1918)年7月24日 山風乗組
大正8(1919)年12月1日 海軍大尉 海軍砲術学校高等科学生
大正9(1920)年12月1日 霧島分隊長
大正10(1921)年5月5日 出雲分隊長
大正11(1922)年4月15日 乗組
大正11(1922)年12月1日 灘風砲術長/分隊長
大正12(1923)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正14(1925)年12月1日 海軍少佐 山城副砲長/分隊長
大正15(1926)年12月1日 霞ヶ浦海軍航空隊
昭和2(1927)年3月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和2(1927)年5月1日 海軍省人事局局員/臨時航空会議議員
昭和5(1930)年4月1日 海軍軍令部出仕
昭和5(1930)年5月1日 アメリカ合衆国駐在被仰付
昭和5(1930)年12月1日 海軍中佐
昭和6(1931)年5月1日 在アメリカ合衆国帝国大使館附海軍武官補佐官
昭和7(1932)年5月2日 命帰朝
昭和7(1932)年7月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和7(1932)年11月15日 第三艦隊参謀
昭和8(1933)年11月1日 海軍大学校教官
昭和9(1934)年11月15日 海軍大佐
昭和10(1935)年8月1日 海軍大学校教官/海軍省出仕
昭和10(1935)年10月15日 軍令部出仕
昭和10(1935)年10月30日 海軍省軍務局第一課長
昭和13(1938)年1月15日 支那方面艦隊参謀副長/第三艦隊参謀
昭和13(1938)年4月25日 妙高艦長
昭和13(1938)年11月15日 鳥海艦長
昭和14(1939)年11月1日 陸奥艦長
昭和15(1940)年11月1日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和15(1940)年11月15日 海軍少将 海軍艦政本部出仕/海軍省兵備局長
昭和16(1941)年4月1日 海軍省兵備局長
昭和16(1941)年12月3日 海軍省兵備局長/海軍運輸部
昭和18(1943)年6月25日 海軍省兵備局長/海軍運輸本部
昭和18(1943)年11月1日 海軍中将
昭和19(1944)年6月25日 海軍省兵備局長
昭和20(1945)年3月1日 海軍省軍務局次長
昭和20(1945)年3月20日 海軍省軍務局次長/船舶救難本部
昭和20(1945)年4月1日 海軍省軍務局次長/船舶救難本部長/海軍化兵戦部
昭和20(1945)年5月15日 海軍省軍務局長
昭和20(1945)年5月27日 海軍省軍務局長/大本営海軍綜合部長
昭和20(1945)年9月1日 海軍省軍務局長/海軍運輸本部長/大本営戦力補給部長
昭和20(1945)年11月17日 海軍省出仕
昭和20(1945)年11月30日 予備役被仰付
充員召集
昭和20(1945)年12月1日 第二復員官 第二復員省出仕
昭和21(1946)年3月31日 充員召集解除
昭和30(1955)年2月27日 衆議院議員
昭和41(1966)年11月27日 辞職(解散)
平成3(1991)年12月25日 死去 (100)