八雲級装甲巡洋艦 (日本海軍, 1899)

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

概説

 日清戦争後に仮想敵となったのはロシアだった。日本海軍はロシア極東艦隊に対抗できる戦力としていわゆる六六艦隊、すなわち戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻からなる艦隊を準備しようとした。当時の日本にはこの種の大型艦を建造する能力もノウハウもなかった。これらの艦はすべて欧州に発注されたが、その大部分は英国が引き受けることになった。ドイツとフランスに装甲巡洋艦1隻ずつが発注され、残りはすべて英国に発注されたのである。ドイツに発注されたただ1隻の装甲巡洋艦が八雲であった。6隻の装甲巡洋艦の基本性能は同じである。20センチ砲4門、速力20ノットというものである。受注したのはドイツの有名な造船所であるフルカン社であった。八雲はドイツ式の手堅い建造の末、明治33年に竣工して日本に回航されて艦隊に編入された。まもなく勃発した日露戦争では一貫して第二戦隊に所属して黄海海戦や日本海海戦に参戦している。第一次大戦では青島攻略作戦や、蘭印方面の通商保護作戦に充当されている。その後はもっぱら大型の船体を利して候補生の遠航に充てられた。大正6年から昭和14年までの間に10回以上も遠航に従事している。およそ海兵44期から66期までの候補生のかなりの部分が八雲に乗組んで遠航に出た。この間、大正10年には海防艦に類別を変更されている。昭和17年、海防艦が護衛艦艇の一種別として軍艦から外されると八雲は一等巡洋艦に復帰した。日露戦争前に建造された6隻の装甲巡洋艦はこのとき一等巡洋艦に復帰する艦と練習特務艦に格下げされる艦にわかれた。八雲は比較的状態がよかったものだろう。ドイツ式の堅牢な構造が幸いしたのかもしれない。しかし現実の任務は内海西部で兵学校の練習艦に指定されて運用実習などに用いられており、戦闘に参加するなどは考えられず、外海に出ることもほとんどなかった。戦後は特別輸送艦に指定されて主に朝鮮や北支などの比較的近距離での復員輸送に従事したのち、昭和22年に舞鶴で解体されておよそ半世紀になる生涯を終えた。

主要目

排水量: 常備 9646t
長さ: 垂線間長 124.64m, 全長 132.3m
全幅: 19.57m
喫水: 7.24m
機関: 2軸 直立式4気筒三段膨張レシプロ 2基, ベルヴィール缶 24基 (石炭専焼), 15,500ihp
燃料: 石炭 1242t
速力: 20.5ノット
装甲: 主水線帯 88-170mm, 上部水線帯 125mm, 甲板 62mm, バーベット 150mm, 砲塔 150mm, ケースメート 50-150mm, 司令塔 75-360mm, 発射管室 150mm
兵装: 20.3cm砲 連装2基 4門, 15.2cm速射砲 単装12基 12門, 12ポンド速射砲 単装12基 12門, 47mm速射砲 単装7基 7門, 45cm魚雷発射管 5門
乗員: 700

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明29 八雲 Yakumo 独 Vulcan 1898.03 1899.07.08 1900.06.20 一等巡洋艦 1921.09.01 一等海防艦
1931.05.30 海防艦
1942.07.01 一等巡洋艦
1945.10.01 除籍
1945.12.01 特別輸送艦
1946.07.20 解体開始
1947.04.01 解体完了