前田稔

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前田稔(まえだ・みのる、明治26(1893)年2月10日 - 平成2(1990)年4月3日)は、日本の海軍軍人海軍中将鹿児島県出身。海軍兵学校第41期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治26(1893)年2月10日
大正2(1913)年12月19日 海軍少尉候補生 浅間乗組
大正3(1914)年8月11日 河内乗組
大正3(1914)年12月1日 海軍少尉
大正4(1915)年6月30日 待命
大正4(1915)年9月8日 扶桑乗組
大正5(1916)年12月1日 海軍中尉 海軍水雷学校普通科学生
大正6(1917)年6月1日 海軍砲術学校普通科学生
大正6(1917)年12月1日 浅間乗組
大正7(1918)年7月16日 伊勢乗組
大正7(1918)年12月1日 天津風乗組
大正8(1919)年4月5日 海軍大学校選科学生
大正8(1919)年12月1日 海軍大尉
大正10(1921)年3月19日 三笠分隊長
大正10(1921)年11月20日 ポーランド共和国駐在
大正13(1924)年2月1日 命帰朝
大正13(1924)年6月10日 浜風砲術長/分隊長
大正13(1924)年12月1日 海軍少佐 山城分隊長
大正14(1925)年10月20日 海軍軍令部出仕
昭和3(1928)年11月1日 比良艦長
昭和4(1929)年11月30日 海軍中佐
昭和5(1930)年5月1日 鎮海要港部参謀/鎮海湾要塞参謀対馬要塞参謀
昭和6(1931)年5月1日 在ソ連邦帝国大使館附海軍武官
昭和9(1934)年4月10日 命帰朝
昭和9(1934)年9月1日 軍令部出仕
昭和9(1934)年11月15日 海軍大佐 軍令部出仕/課長(三部七課長)
昭和10(1935)年3月18日 軍令部課長(三部七課長)
昭和12(1937)年11月20日 軍令部課長/大本営海軍参謀
昭和13(1938)年1月25日 八雲艦長
昭和13(1938)年7月1日 軍令部出仕
昭和13(1938)年7月11日 在ソ連邦帝国大使館附海軍武官
昭和13(1938)年11月14日 軍令部出仕
昭和14(1939)年1月18日 軍令部出仕/第五艦隊司令部附
昭和14(1939)年2月10日 軍令部出仕/第五艦隊司令部附/参謀
昭和14(1939)年11月15日 軍令部出仕/海南島根拠地隊司令部附/海南島海軍特務部
昭和15(1940)年2月15日 軍令部出仕
昭和15(1940)年4月15日 横須賀鎮守府
昭和15(1940)年6月1日 練習艦隊参謀長
昭和15(1940)年9月20日 軍令部出仕
昭和15(1940)年10月15日 軍令部第三部長/大本営海軍参謀
昭和15(1940)年11月15日 海軍少将
昭和15(1940)年12月6日 軍令部第三部長/大本営海軍参謀/海軍報道部部長
昭和17(1942)年5月15日 第十一航空艦隊司令部附
昭和17(1942)年6月1日 第二十四航空戦隊司令官
昭和18(1943)年1月20日 軍令部出仕
昭和18(1943)年2月1日 支那方面艦隊司令部附
昭和18(1943)年2月10日 南京在勤海軍武官在中華民国帝国大使館附海軍武官
昭和18(1943)年11月1日 海軍中将
昭和19(1944)年1月14日 支那方面艦隊司令部附
昭和19(1944)年7月20日 支那方面艦隊司令部附/南京在勤海軍武官在中華民国帝国大使館附海軍武官
昭和20(1945)年2月10日 海軍航空本部出仕
昭和20(1945)年3月1日 第十航空艦隊司令長官
昭和20(1945)年10月1日 海軍省出仕
昭和20(1945)年10月10日 予備役
昭和21(1946)年3月25日 充員召集 第二復員省出仕
昭和21(1946)年6月15日 充員召集解除 復員庁第二復員局長
昭和23(1948)年1月1日 依願免職
平成2(1990)年4月3日 死去 (97)

親族