加藤友三郎

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加藤友三郎(かとう・ともざぶろう Kato Tomozaburo 文久元年2月22日(1861年4月1日) - 大正12(1923)年8月25日)は、日本の政治家、海軍軍人内閣総理大臣元帥海軍大将広島県出身。海軍兵学校第7期生海軍大学校甲号第1期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
文久元年2月22日(1861年4月1日)
明治12(1879)年9月10日 筑波乗組
明治13(1880)年12月17日 海軍少尉補
明治14(1881)年3月25日 乾行乗組
明治14(1881)年9月12日 摂津乗組
明治15(1882)年4月17日 龍驤乗組
明治16(1883)年10月10日 海軍兵学校通学
明治16(1883)年11月2日 海軍少尉
明治17(1884)年10月1日 摂津乗組
明治17(1884)年10月6日 海軍兵学校卒業
明治17(1884)年10月20日 摂津分隊士
明治19(1886)年2月17日 海軍兵学校砲術教授心得/生徒分隊士心得
明治19(1886)年11月22日 海兵練習所分隊長心得/砲術教授心得
明治19(1886)年12月21日 海軍大尉
明治19(1886)年12月24日 海兵練習所分隊長兼砲術教授
明治20(1887)年7月30日 筑波分隊長
明治21(1888)年9月3日 海軍大学校副官
明治21(1888)年11月15日 海軍大学校甲号学生
明治22(1889)年8月19日 浅間乗組
明治23(1890)年5月13日 高千穂砲術長
明治24(1891)年4月6日 横須賀鎮守府海兵団分隊長
明治24(1891)年7月23日 海軍参謀部出仕
明治24(1891)年10月20日 造兵監督官/吉野回航委員(連合王国出張)
明治26(1893)年6月7日 吉野砲術長
明治27(1894)年3月6日 帰着
明治27(1894)年12月11日 海軍省軍務局第一課課僚
明治28(1895)年1月3日 海軍省軍務局第一課課僚/海軍大臣官房人事課御用取扱
明治28(1895)年2月26日 海軍少佐
明治28(1895)年11月16日 海軍省軍務局第一課課僚
明治29(1896)年11月17日 海軍省軍務局第一課課僚/海軍大学校教官
明治30(1897)年4月1日 海軍省軍務局軍事課課僚/海軍大学校教官
明治30(1897)年12月1日 海軍中佐
明治30(1897)年12月27日 八島副長
明治31(1898)年10月1日 筑紫艦長
明治32(1899)年6月17日 海軍省軍務局軍事課長心得
明治32(1899)年6月19日 海軍省軍務局軍事課長心得/海軍臨時建築部部員
明治32(1899)年9月29日 海軍大佐 海軍省軍務局軍事課長/海軍臨時建築部部員
明治33(1900)年5月20日 海軍省軍務局第一課長/海軍教育本部第一部長
明治33(1900)年6月22日 海軍省軍務局第一課長/第二課長/海軍教育本部第一部長
明治33(1900)年12月6日 海軍省軍務局第一課長/第二課長
明治34(1901)年2月9日 海軍省軍務局第一課長
明治34(1901)年4月6日 海軍省軍務局第一課長/第二課長
明治35(1902)年6月11日 常備艦隊参謀長
明治36(1903)年10月27日 海軍省軍務局第一課長/第二課長
明治36(1903)年11月10日 海軍省軍務局局員
明治36(1903)年12月28日 第二艦隊参謀長
明治37(1904)年9月1日 海軍少将
明治38(1905)年1月12日 第一艦隊参謀長/聯合艦隊参謀長
明治38(1905)年6月14日 聯合艦隊参謀長/第一艦隊参謀長
明治38(1905)年12月20日 海軍省軍務局長/海軍将官会議議員
明治39(1906)年1月8日 海軍次官海軍省軍務局長/海軍臨時建築部長/海軍将官会議議員
明治39(1906)年11月22日 海軍次官海軍臨時建築部長/海軍将官会議議員
明治41(1908)年8月28日 海軍中将
明治42(1909)年12月1日 呉鎮守府司令長官
大正2(1913)年12月1日 第一艦隊司令長官
大正4(1915)年8月1日 海軍大臣
大正4(1915)年8月28日 海軍大将
大正9(1920)年9月7日 男爵
大正10(1921)年9月27日 ワシントン軍縮会議全権委員
大正11(1922)年3月10日 帰朝
大正11(1922)年6月12日 内閣総理大臣海軍大臣
大正12(1923)年5月15日 内閣総理大臣
大正12(1923)年8月24日 元帥
大勲位菊花大綬章
大正12(1923)年8月25日 子爵 死去 (62)

在任