加藤寛治 (海軍大将)

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加藤寛治(かとう・ひろはる Kato Hiroharu 明治3年11月2日(1870年12月23日) - 昭和14(1939)年4月9日)は、日本の海軍軍人海軍大将福井県出身。海軍兵学校第18期生(61名中1位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治3年11月2日(1870年12月23日)
明治24(1891)年7月17日 海軍少尉候補生 比叡乗組
明治25(1892)年5月20日 浪速乗組
明治27(1894)年3月1日 海軍少尉 浪速分隊士
明治27(1894)年4月20日 海軍砲術練習所学生
明治27(1894)年6月27日 横須賀鎮守府海兵団分隊士
明治27(1894)年7月21日 根拠地砲台附
明治27(1894)年12月11日 橋立航海士
明治28(1895)年12月20日 海軍砲術練習所学生
明治29(1896)年3月31日 千代田航海士
明治29(1896)年11月6日 富士回航委員(連合王国出張被仰付)
明治29(1896)年11月21日 富士乗組
明治30(1897)年10月31日 帰朝
明治30(1897)年11月5日 富士分隊長心得
明治30(1897)年12月1日 海軍中尉
明治30(1897)年12月27日 海軍大尉 富士分隊長
明治31(1898)年7月8日 龍田航海長/分隊長
明治32(1899)年2月18日 海軍軍令部第三局局員
明治32(1899)年5月13日 ロシア帝国留学被仰付
明治33(1900)年8月15日 ロシア帝国駐在被仰付
明治35(1902)年3月15日 命帰朝
明治35(1902)年7月17日 三笠分隊長
明治36(1903)年2月18日 笠置航海長/分隊長
明治36(1903)年7月7日 朝日砲術長心得/分隊長
明治36(1903)年9月26日 海軍少佐 朝日砲術長/分隊長
明治36(1903)年12月28日 朝日砲術長
明治37(1904)年3月5日 三笠砲術長
明治38(1905)年2月13日 海軍省副官/海軍大臣秘書官
明治39(1906)年1月12日 海軍省副官/海軍大臣秘書官/軍事参議官副官(大将山本権兵衛附属)
明治39(1906)年9月28日 海軍中佐
明治40(1907)年9月28日 浅間副長
明治41(1908)年12月10日 筑波副長
明治42(1909)年4月1日 海軍省出仕
明治42(1909)年5月3日 在連合王国帝国大使館附海軍武官/造兵監督官
明治43(1910)年12月1日 海軍大佐
明治44(1911)年6月2日 命帰朝
明治44(1911)年9月20日 在連合王国帝国大使館附海軍武官/造船造兵監督官
明治44(1911)年12月1日 海軍兵学校教頭/監事長
大正2(1913)年12月1日 筑波艦長
大正3(1914)年5月6日 伊吹艦長/特別南遣枝隊司令官
大正4(1915)年2月1日 第二艦隊参謀長心得
大正4(1915)年12月13日 比叡艦長
大正5(1916)年12月1日 海軍少将 海軍砲術学校
大正7(1918)年1月6日 第五戦隊司令官
大正7(1918)年9月4日 海軍将官会議議員
大正7(1918)年12月1日 横須賀鎮守府参謀長
大正8(1919)年6月10日 海軍軍令部出仕(欧米各国出張被仰付)
大正9(1920)年6月17日 帰朝
大正9(1920)年8月10日 海軍大学校
大正9(1920)年12月1日 海軍中将
大正10(1921)年9月27日 ワシントン軍縮会議全件委員首席随員
大正11(1922)年3月2日 帰朝
大正11(1922)年5月1日 海軍軍令部次長海軍将官会議議員
大正12(1923)年6月1日 第二艦隊司令長官
大正13(1924)年12月1日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
大正15(1926)年12月10日 第一艦隊司令長官/聯合艦隊司令長官
昭和2(1927)年4月1日 海軍大将
昭和3(1928)年12月10日 軍事参議官
昭和4(1929)年1月22日 海軍軍令部長海軍将官会議議員
昭和5(1930)年6月11日 軍事参議官
昭和10(1935)年2月1日 軍事参議官海軍高等技術会議議長
昭和10(1935)年11月2日 後備役被仰付
昭和14(1939)年4月9日 死去 (68)

参照