千代田級巡洋艦 (日本海軍, 1890)

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千代田級巡洋艦 Chiyoda class cruiser

概説

 フランスに発注された防護巡洋艦畝傍は、完成直後の日本への回航途次、シンガポールを出港して以来消息を絶ち、1年の捜索の後に亡失と認定された。この事故により、日本海軍は保険金124万円を受領し、これを原資にして代艦を建造することになった。代艦の発注先は、フランスではなく英国となった。これは海軍首脳がこの事故の原因をフランス式設計の欠陥にあると見なしたためであろう。実際、以後フランスへの発注は極端に少なくなる。こうして発注された千代田は、2400トンの小艦でありながら水線帯に装甲を施し、その防禦要領からして装甲巡洋艦に属する。日本海軍にとって始めての装甲巡洋艦となった。千代田はその備砲をアームストロング式12センチ速射砲に統一した。畝傍や浪速級に比べて、より近代的な兵装になったと言えるだろう。竣工からほどなくして勃発した日清戦争では聯合艦隊本隊に所属し、特に黄海海戦では19ノットの高速と速射砲によって清国北洋水師に大損害を与えた、殊勲艦である。戦後ベルヴィール式水管罐に罐を換装してのち、北清事変に従軍、さらに日露戦争に参加している。日露戦争では第三艦隊第六戦隊に配属され、主に朝鮮海峡の監視や輸送船団の護衛に従事している。明治37年7月26日には、旅順砲撃中に触雷損傷している。横須賀工廠で修理後、日本海海戦にも参加、さらに樺太攻略などに従事している。日露戦役後にはもっぱら警備任務に従事した。大正元年には海防艦に種別変更されている。第一次大戦では青島攻略作戦に参加している。大正10年には水雷母艦となり、翌年には軍艦籍を除かれて潜水艦母艇、さらに2年後には雑役船となって艦艇籍を退いた。昭和2年には廃船、8月5日に昭和天皇天覧の実弾射撃訓練において実艦的として撃沈された。千代田の艦橋は撤去されたのち、江田島の海軍兵学校に移設、号令台として再利用された。いわゆる「千代田艦橋」である。

主要要目

排水量: 常備 2400t
長さ: 水線長 94.5m
全幅: 12.98m
喫水: 4.27m
機関: 2軸 直立式3気筒三段膨張レシプロ 2基, 汽車缶 6基 (石炭専焼), 5600ihp
速力: 19ノット
装甲: 水線帯 115mm, 甲板 25-38mm
兵装: 12cm速射砲 単装10基 10門, 47mm速射砲 単装14基 14門, ガトリング砲 3挺, 36cm魚雷発射管 3門
乗員: 350

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明21 千代田 Chiyoda 英 John Brown 1888.11 1890.06.03 1891.01.01 1898.03.21 三等巡洋艦
1912.08.28 二等海防艦
1921.04.30 水雷母艦
1922.04.01 潜水艦母艇
1924.04.01 雑役船
1927.08.05 処分