吾妻級装甲巡洋艦 (日本海軍, 1899)

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吾妻級装甲巡洋艦(あづまきゅうそうこうじゅんようかん Azuma class armored cruiser)は、日本海軍艦艇のタイプ。

概説

 日露戦争前、日本海軍が目指したのはいわゆる六六艦隊であった。すなわち、新式の戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を中心としたバランスのとれた艦隊である。しかし当時の日本海軍にはこれらの新鋭艦を国産するだけの能力は無かった。六六艦隊の中心である十二隻の大型艦はいずれもヨーロッパ先進国に発注されたものである。当時の最先進海軍国は、明らかにイギリスであった。イギリス海軍は制度の上でも、組織力の上でも、また技術面においても最先端を走っていた。当然、日本海軍の発注先はイギリスに偏った。ことに戦艦6隻はすべてイギリスに発注されている。イギリスを範として機構の整備を続けてきた日本海軍にとっては、それは当然であった。六六艦隊の片翼である装甲巡洋艦も、その大部分にあたる4隻がイギリスに発注された。しかし、残る2隻はドイツとフランスに1隻ずつ発注されている。あまりにもイギリス一辺倒であることに対する配慮が働いたのかもしれない。フランスに発注されたのが、吾妻である。これら6隻は編隊で運用することを考えていたため、設計自体は各国に任されていたが、アームストロング式8インチ砲搭載、速力20~21ノットという基本諸元の基に建造された。吾妻は典型的なフランス式設計で建造されており、6隻の中では異色の存在だった。すなわち、長大な船体、高い乾舷、端部に近く配置された前後の砲塔などである。特にその長大な船体は、国内で入渠可能なドックが限られて運用上不便を強いられた。しかし性能的には他の装甲巡洋艦と大差ないため、第二艦隊の主力として旅順攻略戦、蔚山沖海戦、日本海海戦などに参加している。戦後は、装甲巡洋艦に変わって巡洋戦艦が発展したために旧来の装甲巡洋艦の存在意義は薄くなり、急速に第一線から退いた。しかしその大きな船体を生かして、大正前半には練習艦隊を編成して候補生を乗せて遠洋航海に充当されることが多かった。大正7年には第一次大戦にともない、インド洋方面で作戦している。大正後半に入ると、遠洋航海には充当されなくなり、舞鶴海兵団の練習艦に指定されて舞鶴に係留されるようになった。以後、一貫して舞鶴に係留され続けた。昭和に入ると舞鶴に移ってきた機関学校の練習艦に指定されるようになったが、その間海防艦に種別変更され、大戦中には軍艦籍を離れて練習特務艦となったが、日本海海戦の殊勲艦として御紋章は装着し続けている。昭和19年にはついに艦籍を除かれ、間もなく解体されている。

主要要目

排水量: 常備 9307t
長さ: 垂線間長 131.5m, 全長 137.9m
全幅: 20.94m
喫水: 7.21m
機関: 2軸 直立式4気筒三段膨張レシプロ 2基, ベルヴィール缶 24基 (石炭専焼), 17,000ihp
燃料: 石炭 1275t
速力: 20ノット
装甲: 主水線帯 88-170mm, 上部水線帯 125mm, 甲板 62mm, バーベット 150mm, 砲塔 150mm, ケースメート 50-150mm, 発射管室 150mm, 司令塔 75-360mm
兵装: 20.3cm砲 連装2基 4門, 15.2cm速射砲 12門, 12ポンド速射砲 12門, 57mm速射砲 12門, 45cm魚雷発射管 5門
乗員: 650

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明29 吾妻 Adzuma 仏 de la Loire 1898.03 1899.06.24 1900.07.28 一等巡洋艦 1921.09.01 一等海防艦
1931.05.30 海防艦
1942.07.01 練習特務艦
1944.02.15 除籍
1945 解体