和田操

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和田操(わだ・みさお Wada Misao 明治22(1889)年12月6日 - 昭和56(1981)年11月19日)は、日本の海軍軍人海軍中将三重県出身。海軍兵学校第39期生(148名中4位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治22(1889)年12月6日
明治44(1911)年7月18日 海軍少尉候補生 宗谷乗組
明治45(1912)年3月29日 安芸乗組
大正元(1912)年12月1日 海軍少尉 生駒乗組
大正2(1913)年11月12日 出雲乗組
大正3(1914)年12月1日 海軍中尉
大正4(1915)年5月26日 横須賀鎮守府
大正4(1915)年6月1日 若宮乗組
大正5(1916)年4月1日 横須賀海軍航空隊
大正5(1916)年9月1日 艦隊航空隊
大正5(1916)年12月1日 横須賀海軍航空隊
大正6(1917)年4月12日 待命被仰付
大正6(1917)年6月1日 休職被仰付
大正6(1917)年7月27日 横須賀鎮守府
大正6(1917)年12月1日 海軍大尉 横須賀海軍航空隊
大正7(1918)年1月9日 海軍大学校選科学生
大正10(1921)年4月1日 横須賀海軍工廠検査官/造兵部部員
大正11(1922)年5月25日 横須賀海軍工廠検査官/造兵部部員/造兵監督官(欧州出張被仰付)
大正12(1923)年3月1日 呉海軍工廠広支廠航空機部部員/造兵監督官
大正12(1923)年4月1日 広海軍工廠航空機部部員/造兵監督官
大正12(1923)年12月1日 海軍少佐
大正13(1924)年8月19日 帰朝
大正13(1924)年10月1日 広海軍工廠航空機部部員
大正14(1925)年2月2日 広海軍工廠航空機部部員/海軍潜水学校教官
大正14(1925)年7月1日 広海軍工廠航空機部部員/機関研究部部員/海軍潜水学校教官
昭和2(1927)年12月1日 海軍中佐 欧米出張被仰付
昭和2(1927)年12月26日 広海軍工廠航空機部部員/海軍潜水学校教官
昭和3(1928)年10月7日 帰朝
昭和4(1929)年2月1日 広海軍工廠航空機部部員
昭和6(1931)年6月1日 海軍航空本部技術部部員
昭和6(1931)年12月1日 海軍大佐
昭和11(1936)年7月1日 海軍航空本部出仕
昭和11(1936)年8月15日 欧米出張被仰付
昭和12(1937)年6月11日 帰朝
昭和12(1937)年10月1日 海軍航空本部技術部長
昭和12(1937)年12月1日 海軍少将
昭和15(1940)年5月21日 海軍航空技術廠
昭和16(1941)年10月15日 海軍中将
昭和17(1942)年10月1日 海軍航空技術廠長/支廠長
昭和18(1943)年2月25日 海軍航空技術廠
昭和20(1945)年5月15日 海軍航空本部
昭和20(1945)年11月1日 予備役被仰付
昭和56(1981)年11月19日 死去 (91)