大野竹二

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大野竹二(おおの・たけじ、明治27(1894)年10月1日 - 昭和51(1976)年12月18日)は、日本の海軍軍人海軍少将東京都出身。海軍兵学校第44期生(95名中49位)、海軍大学校第26期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治27(1894)年10月1日
大正5(1916)年11月22日 海軍少尉候補生 八雲乗組
大正6(1917)年8月17日 扶桑乗組
大正6(1917)年12月1日 海軍少尉
大正7(1918)年5月1日 日進乗組
大正8(1919)年8月5日 生駒乗組
大正8(1919)年12月1日 海軍中尉 海軍砲術学校普通科学生
大正9(1920)年5月31日 海軍水雷学校普通科学生
大正9(1920)年12月1日 乗組
大正10(1921)年7月18日 横須賀鎮守府附(連合王国私費留学)
大正11(1922)年12月1日 海軍大尉
大正13(1924)年11月2日 帰朝
大正13(1924)年12月1日 秋風航海長/分隊長
大正14(1925)年11月20日 高崎航海長
大正15(1926)年12月1日 海軍大学校甲種学生
昭和3(1928)年12月10日 海軍少佐 神通航海長/分隊長
昭和4(1929)年11月30日 第二遣外艦隊参謀
昭和5(1930)年11月1日 海軍軍令部参謀(二班三課)/参謀本部部員
昭和7(1932)年2月15日 第三艦隊司令部附/参謀
昭和7(1932)年7月11日 第一遣外艦隊参謀
昭和8(1933)年5月20日 第十一戦隊参謀
昭和8(1933)年11月15日 軍令部部員(一部二課)
昭和9(1934)年11月15日 海軍中佐
昭和10(1935)年11月15日 軍令部部員/海軍大学校教官
昭和12(1937)年11月20日 軍令部部員/海軍大学校教官/大本営海軍参謀
昭和12(1937)年12月1日 軍令部出仕/部員/支那方面艦隊司令部附
昭和12(1937)年12月9日 支那方面艦隊司令部附/参謀/臨時海軍特務部部員
昭和13(1938)年1月20日 支那方面艦隊司令部附/参謀/臨時海軍特務部部員/中支那方面軍司令部附
昭和13(1938)年2月9日 支那方面艦隊司令部附/参謀/臨時海軍特務部部員/中支那方面軍司令部附/参謀
昭和13(1938)年9月15日 支那方面艦隊司令部附/臨時海軍特務部部員/中支那方面軍司令部附/参謀
昭和13(1938)年11月15日 海軍大佐
昭和14(1939)年3月10日 第三艦隊司令部附/興亜院調査官
昭和14(1939)年9月30日 軍令部出仕(一部)
昭和14(1939)年11月15日 軍令部部員(一部)/大本営海軍参謀/参謀本部部員/大本営陸軍参謀
昭和16(1941)年11月10日 木曽艦長
昭和17(1942)年9月20日 横須賀鎮守府
昭和17(1942)年11月10日 第七戦隊司令部附
昭和17(1942)年11月24日 鈴谷艦長
昭和18(1943)年9月4日 聯合艦隊司令部附
昭和18(1943)年9月7日 大和艦長
昭和18(1943)年11月1日 海軍少将
昭和19(1944)年1月25日 軍令部出仕
昭和19(1944)年3月2日 軍令部第三部長/大本営海軍参謀
昭和20(1945)年4月15日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和20(1945)年5月7日 海軍省人事局長
昭和20(1945)年11月24日 予備役被仰付
昭和20(1945)年12月14日 充員召集
第二復員官
第二復員省出仕
昭和21(1946)年5月25日 充員召集解除
昭和51(1976)年12月18日 死去 (82)

親族