天龍級軽巡洋艦 (日本海軍, 1918)

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天龍級軽巡洋艦(てんりゅうきゅう・けいじゅんようかん Tenryu class light cruisers

概説

 第一次大戦直前の、日本で言えば明治末から大正初めの時期、艦艇用機関の効率が飛躍的に向上した。ひとつは減速タービン機関の発明、もうひとつは重油燃料の採用である。減速タービンでは、高速回転領域において良好な効率が得られるタービン機関と、低速回転領域において効率のよいプロペラを仲介する減速歯車装置によって効率を高めることができた。重油燃料により、缶を減らすことができ、同一数の缶ならばそれだけ出力を高めることができる。この改良を背景にして、日本海軍では水雷戦隊の嚮導艦として使用する高速巡洋艦の建造を企図した。これが天龍級で、前型の筑摩級に比して馬力で2倍、速力は26ノットから33ノットとなった。高速を発揮するため、船体はL/B比(長さ/幅)11という細長いものとなった。5万馬力を越える出力を吸収できるだけのプロペラがなかったため、日本では珍しい3軸艦となり、主兵装として新式の14センチ単装砲4門、53センチ魚雷発射管三連装2基6門を装備した。53センチ魚雷発射管は中心線上配備とされ、発射時にはレールで舷側方向へ移動させる方式をとった。後甲板には、艦隊決戦において敵艦隊前面に敷設する連結機雷(いわゆる一号機雷)の投下軌条が設けられていた。当初、日本海軍は8隻の建造を計画していたが米海軍がより強力な巡洋艦建造を計画していることが判明し、建造は2隻で打ち切られ、球磨級の建造に移行した。新造当時は画期的な性能を持っていた天龍級だが技術の発達は目覚ましく、いわゆる5500トン型が主力になるに至って二線級に格下げされた。この間、大きな改装はされていない。魚雷発射管の移動レールを撤去するために、その装備位置が高められたくらいである。加えて、対空兵装の換装が行なわれている。 両艦は開戦時は第18戦隊を編成して第四艦隊に所属、ウェーキ攻略作戦および珊瑚海海戦に参加、やがて第八艦隊に転属して第一次ソロモン海戦に参加している。しかしニューギニアのマダン攻略作戦中に天龍は米潜水艦の雷撃をうけて沈没。第18戦隊は解隊され、龍田は内地に帰還して新造駆逐艦の訓練部隊である第11水雷戦隊旗艦となる。が、戦局は龍田を放っておいてはくれず、船団護衛に駆り出された末、米潜水艦の雷撃をうけて八丈島沖で沈没する。

主要要目

排水量: 常備 3948t, 満載 4350t
長さ: 垂線間長 134.1m, 全長 142.9m
全幅: 12.3m
喫水: 4.0m
機関: 3軸 ブラウン・カーチス式減速タービン(高低圧) 3基, ロ号艦本式缶 10基 (重油専焼 8, 混焼 2), 51,000shp
燃料: 重油 920t, 石炭 150t
速力: 33ノット
航続力: 5000海里/14ノット
装甲: 水線帯 50mm, 甲板 25mm
兵装: 14cm/50口径砲 4門, 8cm/40口径対空砲 3門, 53cm魚雷発射管 三連装2基 6門
乗員: 327

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
大4 天龍 Tenryu 横須賀工廠 1917.05.17 1918.03.11 1919.11.20 二等巡洋艦 1942.12.18 戦没 (被雷)
1943.01.20 除籍
ニューギニア北岸
(米潜 Albacore)
大4 龍田 Tatsuta 佐世保工廠 1917.07.24 1918.05.29 1919.03.31 二等巡洋艦 1944.03.13 戦没 (被雷)
1944.05.10 除籍
八丈島沖
(米潜 Sand Lance)