宗谷級巡洋艦 (日本海軍, 1905)

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概説

 宗谷はもと米国フィラデルフィアのクランプ社でロシア海軍向けに建造された防護巡洋艦ワリアーグである。日露戦争開戦当時は、竣工後2年余りの新鋭艦として極東艦隊に配備されていたが、開戦早々朝鮮半島西岸にあるソウル外港の仁川で優勢な日本海軍と交戦して港内に自沈捕獲された。日本海軍では、ワリアーグを浮揚回航して修理して編入、「宗谷」と命名して使用することにした。ワリアーグ改め宗谷は当時の最新鋭艦だけあって優秀艦だったが、日本海軍では英国式の軍艦が主流を占めており、アメリカの設計による宗谷は使いづらい艦だった。捕獲艦で同型艦がなかったことも、使いづらい理由のひとつだった。そのため、日本海軍ではもっぱら少尉候補生のための遠洋航海に使用された。海兵36期生から40期生の候補生が宗谷で遠洋航海に出た。この中からは、太平洋戦争で中将級の指揮官として活躍した人物が多数輩出した。特に、37期生の遠航では、井上、草鹿、小沢候補生の上に指導官の高野大尉(のちの山本)、指導官附の古賀中尉が乗組んでいた。それから間もなく、第一次大戦が勃発した。かつての日露戦争では敵国だったロシアと、今度は同盟国として共に戦うことになった。ロシアはドイツを主敵として戦っていたが、戦勢は不利でロシアは苦戦していた。日本は連合国の一員としてロシアを支援することになったが、その一環としてかつてロシアから捕獲した宗谷を返還することになった。かくて宗谷は除籍され、再びワリアーグと改名されてウラジオストクでロシア海軍に引き渡された。ワリアーグはヨーロッパに回航されることになり、英国リバプールまで到着して修理中にロシアがドイツと講和したとのニュースが届き、一転して敵国軍艦として抑留されてしまった。その後はほとんど放置状態だったらしい。一度漏水から着底してしまったものをまた浮揚して補給船として使用していたが、やがて解体されることとなったが、そのための回航途中でみたび沈没している。最終的に英国で解体された。

主要要目

排水量: 常備 6500t
長さ: 垂線間長 121.9m, 水線長 126.8m
全幅: 15.8m
喫水: 5.94m
機関: 2軸レシプロ, 30缶, 20,000ihp
燃料: 石炭 1250t
速力: 23ノット
航続力: 4500海里/10ノット
装甲: 甲板 37-75mm, 司令塔 150mm
兵装: 15.2cm/45口径速射砲 12門, 8cm/60口径速射砲 12門, 47mm砲 8門, 45cm魚雷発射管 6門
乗員: 571

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
宗谷 Soya 米 Cramp 1898 1899.10 1900 露 Varyag 1904.02.09 自沈
1904.02 捕獲
1905.08.22 二等巡洋艦 (宗谷 Soya)
1916.04.04 除籍
1916.04.05 露へ譲渡 (Varyag)
1917.02 英国へ脱出
1921 解体