山岡豊一

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山岡豊一(やまおか・とよかず Yamaoka Toyokazu 明治元年12月5日(1869年1月17日) - 大正15(1926)年7月21日)は、日本の海軍軍人海軍中将鳥取県出身。海軍兵学校第17期生(88名中34位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治元年12月5日(1869年1月17日)
明治23(1890)年7月17日 海軍少尉候補生 金剛乗組
明治24(1891)年6月4日 筑波乗組
明治24(1891)年11月20日 高雄乗組
明治25(1892)年5月23日 海軍少尉 横須賀鎮守府海兵団分隊士
明治26(1893)年4月25日 高千穂分隊士
明治28(1895)年7月29日 海軍砲術練習所分隊士
明治29(1896)年1月4日 海軍水雷術練習所学生
明治29(1896)年5月11日 横須賀海兵団
明治29(1896)年6月5日 海軍大尉 横須賀海兵団分隊長
明治30(1897)年3月30日 筑紫分隊長
明治31(1898)年4月29日 高千穂分隊長/水雷長
明治31(1898)年12月3日 台湾総督府参謀
明治31(1898)年12月19日 台湾総督府参謀/副官
明治33(1900)年5月20日 横須賀鎮守府副官
明治33(1900)年8月30日 笠置砲術長/分隊長
明治34(1901)年10月1日 海軍少佐
明治34(1901)年12月17日 敷島砲術長/分隊長
明治35(1902)年7月26日 出雲砲術長/分隊長
明治36(1903)年7月7日 皇族附武官(威仁親王附)
明治37(1904)年2月3日 横須賀鎮守府
明治37(1904)年2月5日 春日受領委員
明治37(1904)年2月13日 富士砲術長
明治38(1905)年4月5日 鹿島回航委員(連合王国出張被仰付)
明治38(1905)年8月4日 帰着
明治38(1905)年8月5日 海軍中佐
明治39(1906)年1月15日 鹿島砲術長
明治39(1906)年8月3日 海軍兵学校砲術教官
明治40(1907)年4月27日 海軍兵学校砲術教官/監事
明治41(1908)年11月20日 相模副長
明治42(1909)年5月22日 石見副長
明治43(1910)年3月19日 千早艦長/対馬艦長
明治43(1910)年4月9日 千早艦長
明治43(1910)年12月1日 横須賀鎮守府
明治44(1911)年5月23日 東宮武官
明治44(1911)年12月1日 海軍大佐
明治45(1912)年6月18日 千代田艦長
大正元(1912)年12月1日 矢矧艦長
大正2(1913)年12月1日 海軍軍令部副官
大正5(1916)年11月1日 海軍軍令部出仕
大正5(1916)年12月1日 扶桑艦長
大正6(1917)年12月1日 海軍少将 海軍軍令部出仕
大正6(1917)年12月15日 第七戦隊司令官
大正7(1918)年8月10日 遣支艦隊司令官
大正8(1919)年8月9日 第一遣外艦隊司令官
大正8(1919)年11月8日 海軍将官会議議員
大正8(1919)年12月1日 第四戦隊司令官
大正9(1920)年10月25日 海軍将官会議議員
大正10(1921)年12月1日 海軍中将 待命被仰付
大正11(1922)年12月1日 休職被仰付
大正12(1923)年3月31日 予備役被仰付
大正15(1926)年7月21日 死去 (57)