山本五十六

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山本五十六(やまもと・いそろく Yamamoto Isoroku 明治17(1884)年4月4日 - 昭和18(1943)年4月18日)は、日本の海軍軍人元帥海軍大将新潟県出身。海軍兵学校第32期生(192名中11位)、海軍大学校第14期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治17(1884)年4月4日
明治37(1904)年11月14日 海軍少尉候補生 韓崎丸乗組
明治38(1905)年1月3日 日進乗組
明治38(1905)年8月31日 海軍少尉 横須賀鎮守府
明治38(1905)年12月12日 横須賀海兵団
明治39(1906)年2月24日 須磨乗組
明治39(1906)年8月3日 鹿島乗組
明治39(1906)年12月20日 見島乗組
明治40(1907)年4月22日 陽炎乗組
明治40(1907)年8月5日 海軍砲術学校普通科学生
明治40(1907)年9月28日 海軍中尉
明治40(1907)年12月16日 海軍水雷学校普通科学生
明治41(1908)年4月20日 春雨乗組
明治41(1908)年6月15日 阿蘇乗組
明治42(1909)年10月1日 宗谷分隊長心得
明治42(1909)年10月11日 海軍大尉 宗谷分隊長
明治43(1910)年7月25日 横須賀鎮守府
明治43(1910)年12月1日 海軍大学校乙種学生
明治44(1911)年5月22日 海軍砲術学校高等科学生
明治44(1911)年12月1日 海軍砲術学校教官/分隊長/海軍経理学校教官
大正元(1912)年12月1日 佐世保予備艦隊参謀
大正2(1913)年12月1日 新高砲術長
大正3(1914)年5月27日 横須賀鎮守府副官/参謀
大正3(1914)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正4(1915)年12月13日 海軍少佐
大正5(1916)年12月1日 第二艦隊参謀
大正5(1916)年12月25日 待命被仰付
大正6(1917)年6月9日 休職被仰付
大正6(1917)年7月21日 海軍省軍務局局員
大正6(1917)年7月27日 海軍省軍務局局員/海軍教育本部部員
大正8(1919)年4月5日 アメリカ合衆国駐在被仰付
大正8(1919)年12月1日 海軍中佐
大正10(1921)年5月5日 命帰朝
大正10(1921)年8月10日 北上副長
大正10(1921)年12月1日 海軍大学校教官
大正12(1923)年6月20日 欧米各国出張被仰付
大正12(1923)年6月30日 海軍軍令部出仕
大正12(1923)年12月1日 海軍大佐
大正13(1924)年3月31日 帰朝
大正13(1924)年6月10日 横須賀鎮守府
大正13(1924)年9月1日 霞ヶ浦海軍航空隊
大正13(1924)年12月1日 霞ヶ浦海軍航空隊教頭/副長
大正14(1925)年1月7日 霞ヶ浦海軍航空隊副長/教頭
大正14(1925)年12月1日 在アメリカ合衆国帝国大使館附海軍武官
昭和2(1927)年11月15日 命帰朝
昭和3(1928)年3月15日 海軍軍令部出仕
昭和3(1928)年8月20日 五十鈴艦長
昭和3(1928)年12月10日 赤城艦長
昭和4(1929)年10月8日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和4(1929)年11月12日 ロンドン軍縮会議全権委員随員
昭和4(1929)年11月30日 海軍少将
昭和5(1930)年9月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕/海軍航空本部出仕
昭和5(1930)年12月1日 海軍航空本部技術部長
昭和8(1933)年10月3日 第一航空戦隊司令官
昭和9(1934)年6月1日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和9(1934)年9月7日 ロンドン軍縮会議予備交渉代表
昭和9(1934)年11月15日 海軍中将
昭和10(1935)年2月12日 帰朝
昭和10(1935)年12月2日 海軍航空本部
昭和11(1936)年12月1日 海軍次官海軍将官会議議員
昭和13(1938)年4月25日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍航空本部
昭和13(1938)年11月15日 海軍次官海軍将官会議議員
昭和14(1939)年8月30日 聯合艦隊司令長官/第一艦隊司令長官
昭和15(1940)年11月15日 海軍大将
昭和16(1941)年8月11日 聯合艦隊司令長官
昭和18(1943)年4月18日 元帥
大勲位菊花大綬章
功一級金鵄勲章
戦死 (59)