山路一善

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山路一善(やまじ・かずよし、明治2年3月13日(1869年4月24日) - 昭和38(1963)年3月13日)は、日本の海軍軍人海軍中将愛媛県出身。海軍兵学校第17期生

履歴

  • 明治23(1890)年7月17日、命海軍少尉候補生。補比叡乗組。
  • 明治24(1891)年6月4日、補扶桑乗組。
  • 明治24(1891)年10月30日、補高千穂乗組。
  • 明治25(1892)年5月23日、任海軍少尉。補龍驤分隊士。
  • 明治26(1893)年4月25日、補千代田航海士。
  • 明治28(1895)年8月22日、補海軍水雷術練習所学生。
  • 明治29(1896)年1月4日、補大島航海士兼分隊士。
  • 明治29(1896)年4月6日、補横須賀水雷団第一水雷敷設隊分隊長心得。
  • 明治29(1896)年4月27日、任海軍大尉。補横須賀水雷団第一水雷敷設隊分隊長。
  • 明治30(1897)年6月16日、補鎮遠分隊長。
  • 明治31(1898)年3月19日、補橋立水雷長兼分隊長。
  • 明治31(1898)年6月1日、補東宮武官
  • 明治33(1900)年9月15日、連合王国留学被仰付。
  • 明治34(1901)年4月1日、連合王国駐在被仰付。
  • 明治34(1901)年10月1日、任海軍少佐
  • 明治35(1902)年9月19日、命帰朝。
  • 明治36(1903)年2月20日、補敷島分隊長。
  • 明治36(1903)年7月7日、補常備艦隊参謀。
  • 明治36(1903)年12月28日、補第一艦隊参謀。
  • 明治38(1905)年1月12日、任海軍中佐
  • 明治38(1905)年6月14日、補第三艦隊参謀。
  • 明治38(1905)年12月20日、補海軍大学校選科学生。
  • 明治39(1906)年12月20日、補磐手副長。
  • 明治41(1908)年1月23日、補海軍軍令部参謀。(三班長)
  • 明治41(1908)年5月16日、兼補海軍大学校教官。(海軍軍令部参謀兼海軍大学校教官)
  • 明治41(1908)年9月25日、任海軍大佐
  • 明治43(1910)年3月19日、補笠置艦長。
  • 明治44(1911)年4月12日、補筑波艦長。
  • 明治44(1911)年12月1日、補海軍軍令部参謀兼臨時建築部部員。(海軍軍令部二班長)
  • 明治45(1912)年6月16日、航空術研究委員長被仰付。(海軍軍令部参謀兼臨時建築部部員・航空術研究委員長)
  • 大正2(1913)年5月3日、欧米各国出張被仰付。
  • 大正2(1913)年11月16日、帰朝。
  • 大正3(1914)年4月17日、補第一艦隊参謀長。
  • 大正3(1914)年12月1日、任海軍少将。補海軍砲術学校長。
  • 大正5(1916)年12月1日、補第四戦隊司令官。
  • 大正6(1917)年4月13日、補第三特務艦隊司令官。
  • 大正6(1917)年12月12日、補第二戦隊司令官。
  • 大正7(1918)年6月13日、補馬公要港部司令官。
  • 大正7(1918)年12月1日、任海軍中将
  • 大正8(1919)年12月1日、補第二戦隊司令官。
  • 大正9(1920)年12月1日、補鎮海要港部司令官。
  • 大正11(1922)年12月1日、補海軍将官会議議員。
  • 大正11(1922)年12月10日、待命被仰付。
  • 大正12(1923)年3月31日、予備役被仰付。
  • 大正12(1923)年10月18日、帝国復興院評議会評議員。
  • 昭和4(1929)年3月13日、後備役被仰付。
  • 昭和9(1934)年3月13日、退役被仰付。