岡田啓介

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岡田啓介(おかだ・けいすけ Okada Keisuke 慶応4年正月21日(1868年2月14日) - 昭和27(1952)年10月10日)は、日本の政治家、海軍軍人内閣総理大臣海軍大将福井県出身。海軍兵学校第15期生(80名中7位)、海軍大学校将校科甲種第2期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
慶応4年正月21日(1868年2月14日)
明治22(1889)年4月20日 海軍少尉候補生 金剛乗組
明治23(1890)年3月14日 浪速乗組
明治23(1890)年7月9日 海軍少尉 浪速分隊士
明治24(1891)年8月28日 浪速航海士
明治25(1892)年5月23日 迅鯨乗組(水雷術練習)
明治25(1892)年10月20日 待命被仰付
明治25(1892)年12月21日 海軍大学校丙号学生
明治26(1893)年12月19日 厳島分隊士
明治27(1894)年3月1日 横須賀鎮守府海兵団分隊長心得
明治27(1894)年6月8日 浪速分隊長心得
明治27(1894)年10月5日 高千穂分隊長心得
明治27(1894)年12月9日 海軍大尉 高千穂分隊長
明治28(1895)年2月20日 対馬水雷隊敷設部分隊長
明治29(1896)年4月1日 佐世保水雷団長崎水雷敷設隊分隊長
明治29(1896)年12月26日 比叡分隊長
明治30(1897)年10月26日 比叡分隊長/航海長
明治30(1897)年11月5日 富士分隊長
明治31(1898)年4月29日 海軍大学校乙種学生
明治31(1898)年12月19日 海軍水雷術練習所教官
明治32(1899)年3月22日 海軍大学校甲種学生
明治32(1899)年9月29日 海軍少佐
明治33(1900)年6月20日 富士分隊長
明治33(1900)年9月1日 敷島水雷長/分隊長
明治33(1900)年12月6日 海軍大学校甲種学生
明治34(1901)年5月24日 待命被仰付
明治34(1901)年6月7日 海軍軍令部第三局局員/海軍大学校教官
明治36(1903)年7月7日 千歳副長心得
明治36(1903)年10月5日 待命被仰付
明治37(1904)年3月7日 佐世保鎮守府
明治37(1904)年4月11日 横須賀海軍工廠艤装委員
明治37(1904)年4月21日 八重山副長
明治37(1904)年7月13日 海軍中佐
明治38(1905)年1月12日 千歳副長
明治38(1905)年4月5日 春日副長
明治38(1905)年12月20日 朝日副長
明治39(1906)年5月11日 海軍水雷術練習所教官/海軍大学校教官
明治40(1907)年4月1日 海軍水雷学校教官/海軍大学校教官
明治41(1908)年9月25日 海軍大佐 海軍水雷学校
明治43(1910)年7月25日 春日艦長
明治44(1911)年1月4日 横須賀鎮守府
明治44(1911)年1月16日 海軍省人事局局員
大正元(1912)年12月1日 鹿島艦長
大正2(1913)年12月1日 海軍少将 佐世保海軍工廠造兵部長
大正3(1914)年8月18日 第二艦隊司令官
大正3(1914)年12月1日 第一水雷戦隊司令官
大正4(1915)年4月1日 第三水雷戦隊司令官
大正4(1915)年10月1日 海軍技術本部第二部長/第三部長
大正4(1915)年12月13日 海軍省人事局長
大正6(1917)年12月1日 海軍中将 佐世保海軍工廠
大正7(1918)年9月4日 海軍将官会議議員
大正7(1918)年10月18日 海軍省艦政局長
大正9(1920)年10月1日 海軍艦政本部
大正9(1920)年10月11日 海軍艦政本部長/海軍将官会議議員
大正12(1923)年5月25日 海軍次官海軍将官会議議員
大正13(1924)年6月11日 海軍大将 軍事参議官
大正13(1924)年12月1日 第一艦隊司令長官/聯合艦隊司令長官
大正15(1926)年12月10日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
昭和2(1927)年4月20日 海軍大臣
昭和4(1929)年7月2日 軍事参議官
昭和7(1932)年5月26日 海軍大臣
昭和8(1933)年1月9日 待命被仰付
昭和8(1933)年1月21日 後備役被仰付
昭和9(1934)年7月8日 内閣総理大臣拓務大臣
昭和9(1934)年10月25日 内閣総理大臣
昭和10(1935)年9月9日 内閣総理大臣逓信大臣
昭和10(1935)年9月12日 内閣総理大臣
昭和11(1936)年3月9日 内閣総理大臣
昭和13(1938)年1月21日 退役被仰付
昭和27(1952)年10月10日 死去 (88)

在任

親族