川内級軽巡洋艦 (日本海軍, 1923)

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概説

 川内級は、いわゆる5500トン型巡洋艦の最終型である。前ふたつ(球磨級、長良級)とのもっとも顕著な外見上の差は、煙突が3本から4本になっていることである。だいたい、煙突というのは近代化するごとに缶の効率化にともなって減っていく傾向にあるものだが、むしろ逆行するようなこのちがいには、石油を産しない日本のお家の事情が反映していた。当時八八艦隊整備の真っ最中にあって、主力艦の多くは石油専焼へと移行しつつあり、石油消費量は急激に伸びているのに、貧乏国日本では輸入もままならず、そこで支障のないかぎりできるだけ石炭を活用しようということになったのである。この方針にともなって、川内級には石炭用の缶が追加搭載され、したがって煙突は4本となった。これら5500トン型の巡洋艦は、本来八八艦隊の主力となるべき戦艦群に相応する補助艦艇群の整備計画の一環として計画された。したがって、ワシントン条約によって戦艦群が雲散霧消すると、当然に計画も見直されることになる。本来川内級は4隻が計画されていたが、4番艦(予定艦名 加古)は建造中止となった。八八艦隊16隻の戦艦のうち、結局完成したのは長門陸奥の2隻だけだが、5500トン型は14隻もの多数が一挙に建造された。つまり、一時的に巡洋艦が過剰になったといえる。実際、これから10年以上もの間、軽巡洋艦は計画すらされなかった。これは日本海軍と5500トン型にとって、不幸であった。建造当時は最新鋭であっても、大戦に突入するころにはすっかり武装は陳腐化しており、しかも近代化改装を施すほどの余裕もなかった。この老体をもって彼女らは、水雷戦隊の旗艦として精鋭駆逐艦の先頭に立たねばならなかったのである。3隻のうちの2隻が、ソロモンの激闘で海の藻くずとなった。神通はコロンバンガラ沖海戦で、そして川内はブーゲンビル島沖海戦で、それぞれ夜戦部隊の旗艦として戦没したのである。ただ1隻残った那珂は、米機動部隊のトラック空襲にたまたま居合わせ、艦載機の攻撃によってこれも戦没した。

主要要目

排水量: 基準 5195t, 常備 5595t, 満載 7100t
長さ: 垂線間長 152.40m, 水線長 158.53m, 全長 163.03m
全幅: 14.17m
喫水: 4.91m
機関: 4軸 三菱パーソンズ式減速タービン(高低圧), ロ号艦本式缶 12基 (重油専焼 8, 混焼 4), 90,000shp
(神通) 4軸 川崎ブラウンカーチス式減速タービン(高低圧), ロ号艦本式缶 12基 (重油専焼 8, 混焼 4), 90,000shp
燃料: 重油 1010t, 石炭 570t
速力: 35.2ノット
装甲: 水線帯 7.6cm, 甲板 2.8cm
兵装: 14cm/50口径砲 単装7基 7門, 8cm/40口径高角砲 単装2基 2門, 機関銃 2挺, 61cm魚雷発射管 連装4基 8門, 機雷 80
乗員: 450

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
大9 川内 Sendai 三菱長崎 1922.02.16 1923.10.30 1924.04.29 二等巡洋艦 1943.11.02 戦没 (交戦)
1944.01.15 除籍
中部ソロモン
大9 那珂 Naka 横浜船渠 1922.06.10 1925.03.24 1925.11.30 二等巡洋艦 1944.02.17 戦没 (航空攻撃)
1944.03.31 除籍
トラック沖
大9 神通 Jintsu 川崎神戸 1922.08.04 1923.12.08 1925.07.31 二等巡洋艦 1943.07.13 戦没 (交戦)
1943.09.10 除籍
中部ソロモン
大9 加古 Kako 佐世保工廠 1922.02.15 1922.03.17 建造中止