斎藤実

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斎藤実(さいとう・まこと Saito Makoto 安政5年10月27日(1858年12月2日) - 昭和11(1936)年2月26日)は、日本の政治家、海軍軍人内閣総理大臣海軍大将岩手県出身。海軍兵学校第6期生(17名中3位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
安政5年10月27日(1858年12月2日)
明治6(1873)年10月27日 海軍兵学寮入寮
明治11(1878)年1月14日 乾行乗組
明治11(1878)年6月18日 金剛転乗
明治12(1879)年2月6日 筑波転乗
明治12(1879)年7月3日 海軍兵学校帰校
明治12(1879)年8月9日 海軍少尉補
明治13(1880)年2月17日 乾行乗組
明治13(1880)年5月27日 扶桑乗組
明治14(1881)年10月19日 海軍兵学校学術課程卒業
明治15(1882)年9月8日 海軍少尉
明治16(1883)年3月2日 扶桑乗組
明治17(1884)年2月8日 海軍軍事部出勤(二課/四課)
明治17(1884)年2月25日 海軍中尉
明治17(1884)年4月24日 アメリカ合衆国差遣
明治17(1884)年9月19日 アメリカ合衆国差遣/在アメリカ合衆国帝国公使館勤務
明治19(1886)年3月31日 参謀本部海軍部出仕/在アメリカ合衆国帝国公使館勤務
明治19(1886)年7月14日 海軍大尉
明治21(1888)年2月14日 参謀本部海軍部出仕
明治21(1888)年5月14日 海軍参謀本部出仕
明治21(1888)年10月26日 帰朝
明治22(1889)年3月9日 海軍参謀部第一課員
明治22(1889)年4月17日 高雄砲術長/水雷長/分隊長
明治22(1889)年7月29日 常備艦隊参謀
明治24(1891)年7月23日 海軍参謀部出仕
明治24(1891)年12月14日 海軍参謀部第三課員
明治25(1892)年6月3日 高雄副長心得
明治26(1893)年12月20日 海軍少佐 海軍大臣官房人事課課僚/海軍省軍務局第一課課僚
明治27(1894)年9月7日 侍従武官
明治28(1895)年2月20日 和泉副長
明治28(1895)年5月17日 常備艦隊参謀
明治29(1896)年11月6日 富士回航委員(連合王国出張)
明治29(1896)年11月21日 富士副長
明治30(1897)年10月31日 帰着
明治30(1897)年12月1日 海軍中佐
明治30(1897)年12月27日 海軍大佐 秋津洲艦長
明治31(1898)年10月1日 厳島艦長
明治31(1898)年11月10日 海軍次官
明治31(1898)年11月12日 海軍次官海軍将官会議議員心得
明治33(1900)年1月12日 海軍次官海軍将官会議議員心得/海軍臨時建築部長心得
明治33(1900)年5月20日 海軍少将 海軍総務長官海軍省軍務局長/海軍将官会議議員/海軍臨時建築部
明治33(1900)年10月25日 海軍総務長官海軍臨時建築部長/海軍将官会議議員
明治36(1903)年11月5日 海軍総務長官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部
明治36(1903)年12月5日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部
明治37(1904)年2月3日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部長/海軍省軍務局長
明治37(1904)年2月11日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部長/海軍省軍務局長/戦時大本営海軍軍事総監軍務部長
明治37(1904)年6月6日 海軍中将
明治38(1905)年1月7日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部長/海軍省軍務局長/戦時大本営海軍軍事総監軍務部長/海軍艦政本部長/海軍教育本部
明治38(1905)年11月7日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部長/海軍省軍務局長/戦時大本営海軍軍事総監軍務部長/海軍艦政本部
明治38(1905)年12月20日 海軍次官海軍将官会議議員/海軍臨時建築部長/海軍艦政本部
明治39(1906)年1月7日 海軍大臣
明治40(1907)年9月21日 男爵
大正元(1912)年10月16日 海軍大将
大正3(1914)年4月16日 待命被仰付
大正3(1914)年5月11日 予備役被仰付
大正8(1919)年8月12日 現役復帰 朝鮮総督
大正14(1925)年4月9日 子爵
昭和2(1927)年4月15日 ジュネーヴ軍縮会議全権委員
昭和2(1927)年9月 帰朝
昭和2(1927)年12月10日 朝鮮総督
昭和2(1927)年12月11日 後備役被仰付
昭和2(1927)年12月17日 枢密顧問官
昭和3(1928)年11月17日 退役被仰付
昭和4(1929)年8月17日 朝鮮総督
昭和6(1931)年6月17日 朝鮮総督
昭和7(1932)年5月26日 内閣総理大臣外務大臣
昭和7(1932)年7月6日 内閣総理大臣
昭和9(1934)年3月3日 内閣総理大臣文部大臣
昭和9(1934)年7月8日 内閣総理大臣文部大臣
昭和10(1935)年12月26日 内大臣
昭和11(1936)年2月26日 従一位
大勲位菊花大綬章
被殺害 (77)

在任