東伏見宮依仁親王

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

東伏見宮依仁親王(ひがしふしみのみや・よりひとしんのう Prince Yorihito, Prince of Higashifushimi 慶応3年9月19日(1867年10月16日) - 大正11(1922)年6月27日)は、日本の皇族海軍軍人海軍大将。薨去後元帥伏見宮邦家親王十七男。母は家女房伊丹吉子明治天皇の養子。明治36(1903)年1月31日、東伏見宮家創設。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
慶応3年9月19日(1867年10月16日) 生 (定麿王)
明治2年2月24日(1869年4月5日) 山階宮
明治10(1877)年3月1日 海軍兵学校入校
明治17(1884)年4月27日 連合王国留学
明治18(1885)年12月2日 小松宮
明治19(1886)年5月1日 親王宣下 依仁親王と改名
明治20(1887)年7月日 フランス海軍兵学校入校
明治22(1889)年7月15日 大勲位菊花大綬章
明治23(1890)年7月26日 フランス海軍兵学校卒業
明治23(1890)年8月14日 海軍少尉 フランス共和国留学
明治24(1891)年10月7日 命帰朝
明治25(1892)年3月27日 高千穂分隊士
明治25(1892)年9月28日 浪速分隊士
明治26(1893)年6月22日 欧米派遣
明治27(1894)年8月3日 命帰朝
明治27(1894)年10月5日 浪速分隊長心得
明治27(1894)年12月9日 海軍大尉 浪速分隊長
明治28(1895)年7月29日 横須賀水雷隊敷設部分隊長
明治28(1895)年11月27日 千代田分隊長
明治30(1897)年4月30日 海軍軍令部諜報課課員/第三局員
明治31(1898)年4月19日 松島分隊長
明治31(1898)年9月1日 高砂分隊長
明治32(1899)年9月29日 海軍少佐 八島分隊長
明治34(1901)年1月22日 吾妻分隊長
明治34(1901)年12月12日 扶桑副長
明治35(1902)年5月23日 海軍大学校臨時講習員
明治36(1903)年1月31日 東伏見宮家創設
明治36(1903)年9月26日 海軍中佐 海軍大学校選科学生
明治36(1903)年12月18日 千歳副長
明治38(1905)年1月12日 海軍大佐 千代田艦長
明治38(1905)年12月20日 高千穂艦長
明治39(1906)年4月7日 春日艦長
明治39(1906)年12月24日 海軍軍令部出仕
明治42(1909)年12月1日 海軍少将
明治44(1911)年12月1日 横須賀予備艦隊司令官
大正2(1913)年4月1日 横須賀鎮守府艦隊司令官
大正2(1913)年8月31日 海軍中将 海軍将官会議議員/海軍軍令部出仕
大正5(1916)年12月1日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
大正6(1917)年12月1日 第二艦隊司令長官
大正7(1918)年6月13日 海軍将官会議議員
大正7(1918)年7月2日 海軍大将 軍事参議官
大正7(1918)年9月26日 連合王国差遣
大正8(1919)年1月7日 帰朝
大正11(1922)年6月27日 元帥
大勲位菊花章頚飾
薨去 (54)

在任

  • 東伏見宮家当主 (1903-1922)
    • 前任: なし(創設)
    • 後任: なし(絶家)

親族

尊属

配偶

  • 山内八重子 明治 2年 6月 9日~大正 8(1919)年10月 9日。明治25(1892)年 7月 6日結婚、明治29(1896)年 4月30日離婚。
  • 岩倉周子 明治 9(1876)年 8月29日~昭和30(1955)年 3月 4日。明治31(1898)年 2月10日結婚。

皇族附武官

代数 階級 氏名 期別 前職 後職 備考
1903.04.12 1903.12.28 海軍中佐 東郷吉太郎 海兵13 横須賀海兵団副長 浪速副長
1903.12.28 1905.01.13 海軍少佐 秋沢芳馬 海兵18 千歳砲術長専任 千歳砲術長専任
1906.12.05 1907.12.18 海軍中佐 吉嶋重太郎 海兵14 敷島副長 大和艦長
1921.03.19 1921.12.01 海軍大尉 鮫島具重 海兵37 陸奥副砲長 海軍大学校甲種学生
1921.12.01 1922.06.27 海軍大尉 原顕三郎 海兵37 駆逐艦長 元帥副官
1922.06.27 1922.07.27 海軍大尉 原顕三郎 海兵37 軍事参議官副官 軍事参議官副官(山屋他人 元帥副官