樺山可也

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樺山可也(かばやま・べきなり Kabayama Bekinari 明治10(1877)年10月14日 - 昭和7(1932)年10月27日)は、日本の海軍軍人海軍少将鹿児島県出身。海軍兵学校第26期生(59名中19位)、海軍大学校第8期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治10(1877)年10月14日
明治31(1898)年12月13日 海軍少尉候補生 比叡乗組
明治32(1899)年9月2日 松島乗組
明治33(1900)年1月12日 海軍少尉 浅間乗組
明治34(1901)年10月1日 海軍中尉
明治35(1902)年1月18日 乗組
明治35(1902)年10月23日 大和分隊長心得
明治36(1903)年8月17日 大和航海長心得/分隊長心得
明治36(1903)年9月26日 海軍大尉 大和航海長/分隊長
明治37(1904)年3月13日 和泉分隊長
明治38(1905)年2月13日 和泉砲術長
明治39(1906)年1月25日 日進砲術長/分隊長
明治39(1906)年12月20日 海軍兵学校砲術教官/監事
明治41(1908)年9月25日 海軍少佐
明治41(1908)年12月10日 石見砲術長
明治42(1909)年3月11日 石見砲術長/分隊長
明治42(1909)年5月7日 石見砲術長
明治42(1909)年5月25日 海軍大学校甲種学生
明治43(1910)年12月1日 肥前砲術長
明治44(1911)年1月23日 鞍馬砲術長/横須賀海軍工廠艤装員
明治44(1911)年3月1日 鞍馬砲術長
明治44(1911)年12月1日 海軍軍令部参謀
明治45(1912)年4月1日 海軍軍令部参謀
明治45(1912)年5月22日 海軍軍令部参謀/海軍教育本部部員(二部)
大正元(1912)年12月1日 海軍軍令部参謀/海軍教育本部部員(二部)/陸軍大学校兵学教官
大正2(1913)年7月31日 アメリカ合衆国駐在被仰付
大正2(1913)年12月1日 海軍中佐
大正4(1915)年5月7日 命帰朝
大正4(1915)年6月30日 鹿島副長
大正4(1915)年12月13日 第三艦隊参謀
大正5(1916)年12月1日 海軍軍令部参謀(二班四課長)
大正6(1917)年12月1日 海軍大佐
大正7(1918)年12月1日 周防艦長
大正8(1919)年10月1日 待命被仰付
大正8(1919)年12月1日 海軍大学校教官
大正9(1920)年11月20日 生駒艦長
大正10(1921)年12月1日 長門艦長
大正11(1922)年11月10日 横須賀防備隊司令
大正11(1922)年12月1日 海軍少将
大正12(1923)年4月1日 海軍砲術学校
大正12(1923)年12月1日 第一艦隊参謀長/聯合艦隊参謀長
大正13(1924)年11月10日 呉鎮守府
大正13(1924)年12月1日 呉鎮守府参謀長
大正13(1924)年12月16日 海軍軍令部出仕
大正14(1925)年11月20日 待命被仰付
大正14(1925)年12月16日 予備役被仰付
昭和 7(1932)年10月27日 死去 (55)