永野修身

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永野修身(ながの・おさみ Nagano Osami 明治13(1880)年6月15日 - 昭和22(1947)年1月5日)は、日本の海軍軍人元帥海軍大将高知県出身。海軍兵学校第28期生海軍大学校第8期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治13(1880)年6月15日
明治33(1900)年12月13日 海軍少尉候補生 橋立乗組
明治34(1901)年8月22日 朝日乗組
明治35(1902)年1月18日 海軍少尉
明治35(1902)年3月14日 浅間乗組
明治36(1903)年8月24日 横須賀鎮守府
明治36(1903)年9月26日 海軍中尉
明治36(1903)年12月9日 海軍砲術練習所学生
明治36(1903)年12月22日 運送船乗組(有明丸)
明治37(1904)年4月16日 佐世保鎮守府
明治37(1904)年4月21日 第一艦隊
明治37(1904)年4月26日 香港丸乗組
明治38(1905)年1月12日 海軍大尉 旅順海軍工作廠廠員
明治38(1905)年6月14日 敷島分隊長
明治38(1905)年9月12日 海軍砲術練習所学生
明治39(1906)年1月25日 海軍兵学校砲術教官/監事
明治39(1906)年9月28日 厳島分隊長
明治40(1907)年8月5日 厳島砲術長/分隊長
明治40(1907)年9月28日 厳島砲術長
明治41(1908)年8月11日 厳島砲術長/分隊長
明治41(1908)年9月25日 厳島砲術長
明治41(1908)年11月20日 佐世保鎮守府参謀/副官
明治42(1909)年5月25日 海軍大学校甲種学生
明治43(1910)年12月1日 海軍少佐 香取砲術長
明治44(1911)年11月1日 海軍軍令部出仕
大正元(1912)年9月27日 海軍省軍務局局員/海軍教育本部部員
大正2(1913)年1月10日 アメリカ合衆国駐在(ハーバード大学留学)
大正3(1914)年12月1日 海軍中佐
大正4(1915)年4月1日 命帰朝
大正4(1915)年5月26日 日進副長
大正4(1915)年12月12日 磐手副長
大正5(1916)年8月24日 海軍省人事局局員
大正7(1918)年10月1日 海軍大佐 海軍省人事局第一課長
大正8(1919)年11月1日 平戸艦長
大正9(1920)年12月1日 在アメリカ合衆国帝国大使館附海軍武官
大正10(1921)年10月7日 ワシントン軍縮会議全権随員
大正11(1922)年2月 免ワシントン軍縮会議全権随員
大正12(1923)年11月10日 命帰朝
大正12(1923)年12月1日 海軍少将
大正13(1924)年2月5日 海軍軍令部参謀(三班長)
大正13(1924)年12月1日 第三戦隊司令官
大正14(1925)年4月20日 第一遣外艦隊司令官
大正15(1926)年8月20日 海軍軍令部出仕
昭和2(1927)年2月1日 練習艦隊司令官
昭和2(1927)年12月1日 海軍中将
昭和3(1928)年1月15日 海軍軍令部出仕
昭和3(1928)年12月10日 海軍兵学校
昭和5(1930)年6月10日 海軍軍令部次長
昭和6(1931)年10月10日 海軍軍令部出仕
昭和6(1931)年12月9日 ジュネーヴ軍縮会議全権
昭和8(1933)年4月25日 免ジュネーヴ軍縮会議全権
昭和8(1933)年11月15日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
昭和9(1934)年3月1日 海軍大将
昭和9(1934)年11月15日 軍事参議官
昭和10(1935)年11月4日 ロンドン軍縮会議全権
昭和11(1936)年2月 帰朝
昭和11(1936)年3月9日 海軍大臣
昭和12(1937)年2月2日 聯合艦隊司令長官/第一艦隊司令長官
昭和12(1937)年12月1日 軍事参議官
昭和16(1941)年2月13日 軍事参議官/海軍高等技術会議議長
昭和16(1941)年4月9日 軍令部総長海軍将官会議議員
昭和18(1943)年6月21日 元帥
昭和19(1944)年2月21日 軍令部総長
昭和21(1946)年3月16日 A級戦犯指名
昭和21(1946)年4月29日 極東軍事裁判に訴追
昭和22(1947)年1月5日 死去 (66)、免訴

在任

元帥副官

代数 階級 氏名 期別 前職 後職 備考