済遠級巡洋艦 (日本海軍, 1895)

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済遠級巡洋艦

概説

 1880年代、清国海軍は北洋大臣李鴻章のもとドイツを中心とする欧州海軍に軍艦を発注して近代化に乗り出した。装甲艦定遠・鎮遠が代表的なものであるが、巡洋艦として建造された済遠もそのひとつである。済遠はドイツに発注されたもので、日本の松島級と同様な思想から計画された中速、小型の船体に大口径砲を搭載したものである。建造当時はこのクラスとしては優秀な艦艇であると評価されていた。日清戦争中においては常に主力に交じって行動していたが艦長の退嬰的な態度と、整備の不良によって能力を発揮できず、黄海海戦においては戦局の中心から常に離れた位置にあって損傷もうけず、主力の後退にともなって撤退した。結局済遠はほとんど無傷のまま威海衛で捕獲されることになる。しかし損傷はなかったものの艦の状態は非常に悪く、手入の稚拙さを暴露した。日本海軍に編入されたのちははじめ巡洋艦と称されたが、類別標準制定後は三等海防艦とされ、日露戦争では第三艦隊に編入されて旅順封鎖に従事していたが二〇三高地陥落直前の11月末、触雷して沈没した。

主要要目

排水量: 常備 2440t
長さ: 垂線間長 72.0m, 水線長 75.0m
全幅: 10.7m
喫水: 4.67m
機関: 2軸レシプロ, 2缶, 2800ihp
燃料: 石炭 230t
速力: 15ノット
装甲: 甲板 75mm, 砲塔 50mm
兵装: 21cm/35口径砲 2門, 15cm砲 1門, 57mm速射砲 4門, 2ポンド砲 6門, 38cm魚雷発射管 4門
乗員: 230

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
済遠 Saien 独 Vulcan ? 1883.06.06 1885 清国 済遠 Chi Yuan 1895.02 捕獲
1895.03.16 編入 (済遠 Saien)
1898.03.21 三等海防艦
1904.11.30 戦没 (触雷)
1905.05.21 除籍
旅順沖