片岡七郎

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片岡七郎(かたおか・しちろう Kataoka Shichiro 嘉永6年12月14日(1854年1月12日) - 大正9(1920)年1月11日)は、日本の華族海軍軍人海軍大将鹿児島県出身。海軍兵学校第3期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
嘉永6年12月14日(1854年1月12日)
明治4年9月24日(1871年11月6日) 海軍兵学寮生徒
明治7(1874)年10月 筑波乗組
明治9(1876)年9月6日 海軍少尉補 海軍兵学校通学
明治9(1876)年12月27日 ドイツ帝国軍艦乗組
明治10(1877)年6月6日 海軍少尉
明治11(1878)年5月13日 帰朝
明治11(1878)年5月25日 扶桑乗組
明治11(1878)年12月27日 海軍中尉
明治14(1881)年11月19日 海軍兵学校学術課程卒業
明治14(1881)年12月17日 海軍大尉
明治17(1884)年10月29日 扶桑砲術長
明治18(1885)年6月22日 天城副長
明治18(1885)年8月28日 筑紫副長
明治19(1886)年2月6日 海軍兵学校勤務
明治19(1886)年2月17日 海軍兵学校砲術教授/生徒隊分隊長
明治19(1886)年4月7日 海軍少佐
明治20(1887)年10月27日 海軍兵学校紀律主任/教務副総理
明治21(1888)年6月16日 海軍兵学校砲術教官
明治21(1888)年6月20日 海軍兵学校砲術教官/天龍艦長心得
明治22(1889)年5月15日 佐世保鎮守府参謀
明治22(1889)年10月3日 海軍参謀本部出仕(ドイツ帝国出張。博恭王菊麿王随従)
明治23(1890)年5月23日 在ドイツ帝国帝国公使館附海軍武官菊麿王御用掛
明治23(1890)年9月17日 海軍大佐
明治23(1890)年12月24日 在ドイツ帝国帝国公使館附海軍武官菊麿王博恭王御用掛
明治26(1893)年3月21日 在ドイツ帝国帝国公使館附海軍武官
明治26(1893)年7月29日 在ドイツ帝国帝国公使館附海軍武官依仁親王
明治27(1894)年7月16日 命帰朝
明治27(1894)年9月9日 海軍軍令部出仕
明治27(1894)年9月12日 (一局/二局)
明治27(1894)年12月17日 金剛艦長
明治28(1895)年2月16日 浪速艦長
明治28(1895)年12月27日 橋立艦長
明治29(1896)年11月5日 海軍砲術練習所
明治30(1897)年12月27日 八島艦長
明治31(1898)年11月2日 常備艦隊参謀長
明治32(1899)年2月1日 海軍大臣官房人事課長
明治32(1899)年6月17日 海軍少将 呉鎮守府艦隊司令官/呉鎮守府司令官
明治33(1900)年5月20日 呉鎮守府艦政部長
明治35(1902)年7月26日 竹敷要港部司令官
明治36(1903)年9月5日 海軍中将
明治36(1903)年12月28日 第三艦隊司令長官
明治38(1905)年12月20日 第一艦隊司令長官
明治39(1906)年4月1日 功一級金鵄勲章
明治39(1906)年11月22日 海軍艦政本部長/海軍将官会議議員
明治40(1907)年9月21日 男爵
明治41(1908)年8月28日 舞鶴鎮守府司令長官
明治43(1910)年12月1日 海軍大将
明治44(1911)年1月18日 待命被仰付
明治44(1911)年12月1日 軍事参議官
大正6(1917)年4月26日 待命被仰付
大正6(1917)年5月10日 予備役被仰付
大正7(1918)年12月14日 後備役被仰付
大正9(1920)年1月11日 正二位 薨去 (66)