種子田右八郎

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種子田右八郎(たねだ・うはちろう、文久3年12月8日(1864年1月16日) - 昭和7(1932)年11月20日)は、日本の海軍軍人海軍造兵総監(のち海軍造兵中将)。鹿児島県出身。海軍機関学校旧第3期生

履歴

  • 文久3年12月8日(1864.1.16)、生。
  • 明治18(1885)年7月16日、命海軍機関士補
  • 明治18(1885)年8月19日、補金剛乗組。
  • 明治19(1886)年7月13日、命海軍少機関士試補(官名改称)。
  • 明治19(1886)年10月8日、任海軍少機関士
  • 明治19(1886)年11月22日、補畝傍乗組。
  • 明治20(1887)年3月14日、補高千穂乗組。
  • 明治20(1887)年9月2日、補大和乗組。
  • 明治21(1888)年2月20日、補迅鯨乗組。(水雷術練習)
  • 明治22(1889)年5月20日、補海軍兵学校機関術教官心得兼天龍乗組。
  • 明治22(1889)年5月23日、補海軍兵学校機関術教官心得兼天龍乗組。
  • 明治22(1889)年8月12日、補横須賀鎮守府兵器部主幹。
  • 明治23(1890)年9月17日、任海軍大機関士
  • 明治24(1891)年4月13日、補厳島水雷主機兼回航事務取扱委員。フランス共和国出張被仰付。
  • 明治24(1891)年8月24日、補厳島乗組兼水雷主機。
  • 明治25(1892)年5月21日、帰着。
  • 明治25(1892)年12月21日、補横須賀鎮守府兵器部主幹。
  • 明治26(1893)年5月20日、補迅鯨水雷主機兼教官。
  • 明治26(1893)年6月7日、補造兵監督官。
  • 明治26(1893)年6月16日、英墺両国出張被仰付。
  • 明治30(1897)年9月13日、命帰朝。
  • 明治30(1897)年12月1日、任海軍機関少監
  • 明治30(1897)年12月3日、補横須賀鎮守府兵器部工場主管。
  • 明治31(1898)年6月28日、任海軍機関中監
  • 明治33(1900)年3月20日、補横須賀海軍兵器廠工場主管。
  • 明治35(1902)年5月24日、任海軍造兵中監(転官)。
  • 明治35(1902)年12月9日、任海軍造兵大監。補横須賀海軍兵器廠長。
  • 明治36(1903)年11月10日、補横須賀海軍工廠造兵部長。
  • 明治42(1909)年2月26日、任海軍造兵総監
  • 明治44(1911)年1月18日、補呉海軍工廠砲熕部長。
  • 明治45(1912)年3月13日、兼補造兵監督官。(呉海軍工廠砲熕部長兼造兵監督官)。連合王国出張被仰付。
  • 大正元(1912)年9月9日、命帰朝。
  • 大正3(1914)年12月1日、勅任官一等。補海軍造兵廠長。
  • 大正4(1915)年11月1日、補海軍技術本部第一部長。
  • 大正8(1919)年9月23日、任海軍造兵中将(官名改称)。
  • 大正8(1919)年12月1日、兼補海軍技術本部第六部長。(海軍技術本部第一部長兼第六部長)
  • 大正9(1920)年10月1日、補海軍艦政本部第一部長兼第六部長。
  • 大正9(1920)年11月12日、免兼海軍艦政本部第六部長。(海軍艦政本部第一部長)
  • 大正10(1921)年12月1日、補海軍艦政本部出仕。
  • 大正11(1922)年4月10日、待命被仰付。
  • 大正12(1923)年3月31日、予備役被仰付。
  • 大正14(1925)年12月8日、後備役被仰付。
  • 昭和5(1930)年12月8日、退役被仰付。
  • 昭和7(1932)年11月20日、死去。68歳。