筑波級コルベット (日本海軍, 1853)

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概説

 もともとは1850年頃、英領ビルマで植民地警備のために建造されたコルベットだが、明治政府は艦齢20年になろうとしているこの艦を購入した。性能的には特にみるべきものもない。海軍がこの艦を購入しようとした動機はよくわからないが、当時は海軍の増強は焦眉の急だったから、現に警備任務に堪えてきた本艦は適当と考えたのかも知れない。もちろん、貧乏だった日本にとって価格と性能のバランスは最重要だっただろう。筑波と改名された中古コルベットの最大の取り柄は二千トン近いその大きさにあった。また、建造は植民地だが機関は本国イギリスから輸入されており、それなりに優秀だったと思われる。こうした特長から、筑波は主に初級士官の教育に用いられることになった。明治6年、海軍兵学寮生徒を乗せて清国方面に練習航海に出た。また、明治8年にははるか北米にまで練習航海を行なっている。このどちらを後の遠洋航海の嚆矢と見るかについては意見が別れるが、どちらにせよ遠洋航海はこの筑波から始まった。筑波はこれ以後、ほぼ隔年に遠洋航海に参加しており、その回数は10回近い。明治11年の遠洋航海では豪州にまで足を伸ばしており、日本軍艦が赤道を超えた初めてのケースとなっている。この間の明治10年には西南戦争に従軍している。明治20年代の半ばになるとさすがに遠洋航海に使用するには時代遅れとなり、その役目を金剛級に譲っている。日清戦争が起きると筑波も出征したがその任務は横須賀や前進根拠地の警備といった二線級のものである。軍艦の進歩が激しい19世紀後半にあって艦齢40年以上となれば無理もない。戦後の明治31年には艦艇類別標準が規定されて三等海防艦に類別された。艦齢50年を超えていた日露戦争ではもはや根拠地警備のような任務でさえ荷が勝つようになり、まだ日露間の講和が発効していない明治38年6月、ついに除籍された。長年海軍将校の養成に貢献した功績に鑑み、保存が検討されたが老朽化が激しく売却解体された。

主要要目

排水量: 常備 1947t
長さ: 垂線間長 58.2m, 水線長 60.3m
全幅: 10.6m
喫水: 5.48m
機関: 1軸レシプロ, 526ihp
速力: 10ノット
兵装: 11.4cm前装砲 6門, 30ポンド砲 2門, 24ポンド砲 2門
乗員: 301

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
筑波 Tsukuba 英領ビルマ Mould ? 1853.04.09 1854 英 Malacca 1871.07.21 購入
1871.08.15 改名 (筑波 Tsukuba)
1898.03.21 三等海防艦
1905.06.10 除籍
1907.01.18 売却