筑波級巡洋戦艦 (日本海軍, 1905)

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筑波級巡洋戦艦(つくばきゅうじゅんようせんかん Tsukuba class battlecruisers)は、日本海軍艦艇のタイプ。

概説

 筑波級は、建造当時は装甲巡洋艦として計画されていた。ただし、主砲には戦艦と同じ30センチ砲を装備している。一般に装甲巡洋艦に戦艦と同等の攻撃力を持たせたのは英海軍のインヴィンシブル(のち巡洋戦艦)であると言われているが、筑波級はその先駆けであった。しかし、インヴィンシブルほどの確固とした構想があったわけではなく、ただより大きな砲力を求めた結果に過ぎず、構造としては旧態依然とした装甲巡洋艦そのものであった。筑波級は日露戦争の戦時急増計画で建造された。開戦3ヶ月で主力6戦艦のうち2隻を失った日本海軍は急遽国内で装甲巡洋艦の建造に着手した。平時ですらこれまで例がなかった事業を戦時にしかも至急に行なわなければならなかったのである。計画からわずか半年で起工にこぎつけ、この種の大型艦としては異例の1年ほどで進水させた。当時在留の欧米人の間で、日本人の手でこの大型艦の進水が無事に済むかどうか賭けが行なわれたという。つまり失敗する可能性がそれだけ高いと思われていたのである。進水は無事終了したが、その頃にはすでに日露講和がなっており、突貫工事の必要性はなくなって並の速度で建造された。ところが筑波級が竣工した時には英海軍でインヴィンシブルが進水をすませており、生まれながらにして二級艦となってしまった。日本海軍では筑波級に次ぐ伊吹級を建造中だったがこれも筑波級と大同小異で、本格的な巡洋戦艦の整備は金剛級を待たねばならなかった。筑波級は、戦艦なみの砲力を持っているということで新設された巡洋戦艦に類別が変更されたが、世界標準でいう巡洋戦艦には到底及ばなかった。第一次大戦が勃発すると、筑波級はあるいは南洋方面、あるいは南太平洋、あるいはインド洋へと派遣されて連合軍と協同して各地の警備にあたった。それは逆を言えば、筑波級は温存するに値しない主力艦であると看做されていたことを示している。大正6年、西太平洋方面のドイツ勢力は完全に駆逐されていたがまだ大戦は終っていなかった。筑波は横須賀に停泊していたが、突然火薬庫が爆発して沈没、のち引き揚げられたがそのまま解体された。生駒は大戦後まもなく開かれたワシントン軍縮会議で廃棄対象となり、解体処分された。

主要要目

排水量: 常備 13,750t, 満載 15,400t
長さ: 垂線間長 134.1m, 全長 137.1m
全幅: 23.0m (生駒 22.8m)
喫水: 8.0m
機関: 2軸 直立型4気筒三段膨張レシプロ 2基, 宮原缶 20基 (混焼), 20,500ihp
燃料: 石炭 2000t (生駒 重油 160t, 石炭 1911t)
速力: 20.5ノット
装甲: 水線帯 100-180mm, バーベット 180mm, 砲塔 180mm, 司令塔 200mm, 甲板 75mm
兵装: 30.5cm/45口径砲 連装2基 4門, 15.2cm/45口径砲 12門, 12cm/40口径砲 12門, 8cm/40口径砲 4門, 45cm 魚雷発射管 3門 (水中)
乗員: 879

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
日露臨 筑波 Tsukuba 呉工廠 1905.01.14 1905.12.26 1907.01.14 一等巡洋艦 1912.08.28 巡洋戦艦
1917.01.14 喪失 (事故)
1917.09.01 除籍
横須賀港内で艦内爆発
日露臨 生駒 Ikoma 呉工廠 1905.03.15 1906.04.09 1908.03.24 一等巡洋艦 1912.08.28 巡洋戦艦
1923.09.20 除籍