米内光政

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

米内光政(よない・みつまさ Yonai Mitsumasa 明治13(1880)年3月2日 - 昭和23(1948)年4月20日)は、日本の政治家、海軍軍人内閣総理大臣海軍大将岩手県出身。海軍兵学校第29期生(115名中68位)、海軍大学校第12期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治13(1880)年3月2日
明治34(1901)年12月14日 海軍少尉候補生 金剛乗組
明治35(1902)年9月3日 常磐乗組
明治36(1903)年1月23日 海軍少尉
明治36(1903)年5月14日 舞鶴水雷団第一水雷艇隊附
明治36(1903)年9月14日 第十六艇隊
明治37(1904)年7月13日 海軍中尉
明治37(1904)年10月20日 待命被仰付
明治37(1904)年12月30日 佐世保鎮守府
明治38(1905)年1月12日 乗組
明治38(1905)年8月5日 磐手分隊長心得
明治38(1905)年12月12日 海軍砲術練習所学生
明治39(1906)年6月12日 新高分隊長心得
明治39(1906)年9月28日 海軍大尉 新高分隊長
明治40(1907)年5月17日 新高砲術長
明治41(1908)年2月1日 新高砲術長/分隊長
明治41(1908)年4月20日 海軍砲術学校教官/分隊長
明治42(1909)年12月1日 敷島分隊長
明治43(1910)年4月1日 薩摩分隊長
明治44(1911)年1月23日 利根砲術長
明治44(1911)年12月1日 海軍砲術学校教官/分隊長
大正元(1912)年12月1日 海軍少佐 海軍大学校甲種学生
大正3(1914)年5月27日 旅順要港部参謀
大正4(1915)年2月12日 ロシア帝国駐在被仰付
大正5(1916)年12月1日 海軍中佐
大正6(1917)年2月20日 命帰朝
大正6(1917)年5月1日 佐世保鎮守府参謀/望楼監督官
大正7(1918)年4月1日 海軍軍令部出仕
大正7(1918)年8月8日 海軍軍令部出仕/参謀
大正8(1919)年9月4日 富士副長/教官/分隊長
大正8(1919)年12月1日 海軍軍令部参謀
大正9(1920)年6月3日 海軍軍令部出仕(欧州出張被仰付)
大正9(1920)年12月1日 海軍大佐
大正10(1921)年11月25日 ポーランド共和国駐在員監督被仰付
大正11(1922)年12月10日 春日艦長
大正12(1923)年3月5日 磐手艦長
大正13(1924)年7月18日 扶桑艦長
大正13(1924)年11月10日 陸奥艦長
大正14(1925)年12月1日 海軍少将 第二艦隊参謀長
大正15(1926)年12月1日 海軍軍令部参謀(三班長)
昭和3(1928)年12月10日 第一遣外艦隊司令官
昭和5(1930)年12月1日 海軍中将 鎮海要港部司令官
昭和7(1932)年12月1日 第三艦隊司令長官
昭和8(1933)年9月15日 海軍軍令部出仕
昭和8(1933)年11月15日 佐世保鎮守府司令長官
昭和9(1934)年11月15日 第二艦隊司令長官
昭和10(1935)年12月2日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
昭和11(1936)年12月1日 聯合艦隊司令長官/第一艦隊司令長官
昭和12(1937)年2月2日 海軍大臣
昭和12(1937)年4月1日 海軍大将
昭和14(1939)年8月30日 軍事参議官
昭和14(1939)年9月6日 前官礼遇
昭和15(1940)年1月16日 予備役被仰付 内閣総理大臣
昭和15(1940)年7月22日 内閣総理大臣
昭和17(1942)年4月4日 功一級金鵄勲章
昭和19(1944)年7月22日 現役復帰 海軍大臣
昭和20(1945)年11月30日 予備役被仰付
昭和23(1948)年4月20日 死去 (68)

在任