荒木貞夫

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荒木貞夫(あらき・さだお Araki Sadao 明治10(1877)年5月26日 - 昭和41(1966)年11月2日)は、日本の華族陸軍軍人陸軍大将東京都出身。陸軍士官学校第9期生(歩兵)、陸軍大学校第19期生

履歴

  • 大正7(1918)年7月24日、任陸軍歩兵大佐関東都督府附。
  • 大正7(1918)年11月1日、浦塩派遣軍参謀。
  • 大正8(1919)年7月25日、歩兵第二十三聯隊長。
  • 大正10(1921)年4月1日、参謀本部支那課長。
  • 大正12(1923)年3月17日、任陸軍少将歩兵第八旅団長。
  • 大正13(1924)年1月9日、憲兵司令官
  • 大正14(1925)年5月1日、参謀本部第一部長。
  • 昭和2(1927)年7月26日、任陸軍中将
  • 昭和3(1928)年8月10日、陸軍大学校長。
  • 昭和4(1929)年8月1日、第六師団長。
  • 昭和6(1931)年8月1日、教育総監部本部長。
  • 昭和6(1931)年12月13日、陸軍大臣
  • 昭和8(1933)年10月20日、任陸軍大将
  • 昭和9(1934)年1月23日、軍事参議官
  • 昭和10(1935)年12月26日、特旨をもって華族に列せられ、男爵を賜る。
  • 昭和11(1936)年3月6日、待命。
  • 昭和11(1936)年3月10日、予備役。
  • 昭和12(1937)年10月15日、内閣参議
  • 昭和13(1938)年5月26日、文部大臣
  • 昭和14(1939)年8月30日、辞。
  • 昭和15(1940)年1月20日、内閣参議
  • 昭和15(1940)年7月22日、辞。
  • 昭和20(1945)年11月19日、A級戦犯指名。
  • 昭和21(1946)年4月29日、極東軍事裁判に訴追。
  • 昭和23(1948)年11月12日、判決。(終身刑)
  • 昭和30(1955)年、仮釈放。
  • 昭和41(1966)年11月2日、逝去。

在任