藤田尚徳

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藤田尚徳(ふじた・ひさのり Fujita Hisanori 明治13(1880)年10月30日 - 昭和45(1970)年7月23日)は、日本の海軍軍人海軍大将東京府出身。海軍兵学校第29期生海軍大学校第10期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治13(1880)年10月30日
明治34(1901)年12月14日 海軍少尉候補生 比叡乗組
明治35(1902)年9月3日 八雲乗組
明治35(1902)年12月18日 高砂乗組
明治36(1903)年1月23日 海軍少尉 八雲乗組
明治37(1904)年7月13日 海軍中尉
明治38(1905)年1月12日 高雄分隊長心得
明治38(1905)年8月5日 海軍大尉 高雄分隊長/航海長
明治38(1905)年9月23日 龍田分隊長
明治38(1905)年12月12日 海軍砲術練習所学生
明治39(1906)年6月12日 敷島分隊長
明治40(1907)年4月5日 香取分隊長
明治40(1907)年6月18日 待命被仰付
明治40(1907)年10月1日 横須賀海兵団分隊長
明治41(1908)年4月20日 海軍大学校乙種学生
明治41(1908)年12月3日 海軍砲術学校高等科学生
明治42(1909)年5月25日 第二艦隊参謀
明治43(1910)年5月23日 呉海軍工廠検査官/砲熕部部員
明治43(1910)年12月1日 海軍大学校甲種学生
明治44(1911)年12月1日 海軍少佐
明治45(1912)年5月22日 敷島分隊長
大正元(1912)年12月1日 横須賀予備艦隊副官
大正2(1913)年4月22日 海軍省軍務局局員
大正4(1915)年3月1日 連合王国駐在被仰付
大正5(1916)年8月1日 在連合王国大使館附海軍武官補佐官
大正5(1916)年12月1日 海軍中佐
大正6(1917)年10月6日 命帰朝
大正6(1917)年12月1日 摂津副長
大正7(1918)年1月6日 第五戦隊参謀
大正7(1918)年11月10日 海軍省出仕
大正7(1918)年12月1日 海軍省人事局局員(一課)
大正9(1920)年12月1日 海軍大佐 須磨艦長
大正10(1921)年8月6日 海軍軍令部出仕兼海軍省出仕
大正10(1921)年8月17日 海軍省軍務局第二課長
大正11(1922)年6月1日 海軍省副官
大正13(1924)年12月1日 霧島艦長
大正14(1925)年10月20日 海軍艦政本部総務部長
大正14(1925)年12月1日 海軍少将
大正15(1926)年12月1日 海軍省人事局長
昭和3(1928)年12月10日 第三戦隊司令官
昭和4(1929)年11月30日 海軍中将 横須賀海軍工廠
昭和5(1930)年6月10日 海軍艦政本部長/海軍将官会議議員
昭和7(1932)年6月1日 海軍次官海軍将官会議議員
昭和9(1934)年5月10日 呉鎮守府司令長官
昭和11(1936)年4月1日 海軍大将
昭和11(1936)年12月1日 軍事参議官
昭和14(1939)年4月1日 待命被仰付
昭和14(1939)年4月5日 予備役被仰付
昭和18(1943)年8月27日 任明治神宮宮司
昭和19(1944)年8月29日 侍従長
昭和21(1946)年5月3日 侍従長
昭和45(1970)年7月23日 死去 (89)