角田秀松

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角田秀松(つのだ・ひでまつ 嘉永3年2月12日(1850.3.25)~明治38(1905)年12月13日)は、日本の海軍軍人海軍中将。青森県出身。

履歴

  • 明治7(1874)年10月7日、長崎海軍出張所雇。
  • 明治7(1874)年11月5日、補雲揚乗組。
  • 明治7(1874)年12月22日、任海軍少尉
  • 明治8(1875)年11月4日、補清輝乗組。
  • 明治8(1875)年12月12日、補孟春乗組。
  • 明治9(1876)年4月6日、補清輝乗組。
  • 明治10(1877)年9月28日、任海軍中尉
  • 明治12(1879)年5月27日、任海軍大尉
  • 明治12(1879)年9月18日、補乗組。
  • 明治12(1879)年9月27日、補副長。
  • 明治13(1880)年3月24日、補扶桑乗組。
  • 明治13(1880)年4月30日、命海軍水雷練習所在勤。
  • 明治15(1882)年8月3日、補迅鯨副長心得。
  • 明治15(1882)年10月30日、補海軍水雷練習所副長。
  • 明治16(1883)年2月10日、任海軍少佐
  • 明治16(1883)年2月16日、補海軍省水雷局副長。
  • 明治19(1886)年1月29日、補長浦水雷営長。
  • 明治19(1886)年2月6日、兼補長浦水雷営武庫主事。(長浦水雷営長兼長浦水雷営武庫主事)
  • 明治19(1886)年2月15日、兼補迅鯨艦長心得。(長浦水雷営長心得兼長浦水雷営武庫主事迅鯨艦長心得)
  • 明治19(1886)年5月10日、補横須賀鎮守府水雷司令兼武器部次長。
  • 明治19(1886)年6月19日、命長浦兵器部派出所勤務。
  • 明治19(1886)年6月23日、兼補長浦水雷営長心得。(長浦兵器部派出所兼長浦水雷営長心得)
  • 明治20(1887)年10月25日、任海軍大佐
  • 明治20(1887)年10月27日、補横須賀軍港水雷司令兼長浦水雷営長。
  • 明治22(1889)年5月15日、補浪速艦長。
  • 明治24(1891)年6月17日、補佐世保知港事佐世保予備艦長
  • 明治26(1893)年5月20日、補海軍軍令部第一局長。
  • 明治27(1894)年6月19日、兼補海軍軍令部第二局長。(海軍軍令部第一局長兼第二局長)
  • 明治27(1894)年7月13日、免兼海軍軍令部第二局長。(海軍軍令部第一局長)
  • 明治28(1895)年6月4日、補海軍軍令部出仕。
  • 明治28(1895)年8月15日、任海軍少将。補台湾総督府参謀副長兼海軍局長。
  • 明治29(1896)年4月1日、補台湾総督府軍務局海軍部長。
  • 明治30(1897)年11月1日、補台湾総督府海軍参謀長。
  • 明治30(1897)年12月27日、補佐世保鎮守府司令官。
  • 明治31(1898)年5月14日、補呉鎮守府司令官。
  • 明治32(1899)年1月19日、補常備艦隊司令官。
  • 明治33(1900)年5月20日、任海軍中将。補海軍艦政本部長兼海軍将官会議議員。
  • 明治34(1901)年7月3日、補海軍将官会議議員。
  • 明治34(1901)年10月1日、補常備艦隊司令長官。
  • 明治35(1902)年7月26日、待命被仰付。
  • 明治36(1903)年7月26日、休職被仰付。
  • 明治36(1903)年12月28日、補竹敷要港部司令官。
  • 明治38(1905)年12月13日、戦病死。55歳。