近藤信竹

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近藤信竹(こんどう・のぶたけ Kondo Nobutake 明治19(1886)年9月25日 - 昭和28(1953)年2月19日)は、日本の海軍軍人海軍大将大阪府出身。海軍兵学校第35期生(172名中1位)、海軍大学校第17期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治19(1886)年9月25日
明治40(1907)年11月20日 海軍少尉候補生 厳島乗組
明治41(1908)年7月28日 三笠乗組
明治41(1908)年12月25日 海軍少尉
明治42(1909)年10月1日 阿蘇乗組
明治43(1910)年7月25日 海軍砲術学校普通科学生
明治43(1910)年12月1日 海軍中尉
明治43(1910)年12月15日 海軍水雷学校普通科学生
明治44(1911)年4月20日 如月乗組
明治45(1912)年4月20日 海軍艦政本部艤装員(連合王国出張被仰付)
大正元(1912)年12月1日 金剛乗組/海軍艦政本部艤装員
大正2(1913)年8月16日 金剛乗組
大正2(1913)年11月5日 帰着
大正2(1913)年12月1日 海軍大尉 海軍大学校乙種学生
大正3(1914)年5月27日 海軍砲術学校高等科学生
大正3(1914)年12月1日 呉海軍工廠艤装員
大正4(1915)年2月26日 扶桑分隊長/呉海軍工廠艤装員
大正4(1915)年9月8日 第二艦隊参謀
大正4(1915)年12月13日 第一艦隊参謀
大正5(1916)年9月1日 第一艦隊参謀/聯合艦隊参謀
大正5(1916)年10月14日 第一艦隊参謀
大正5(1916)年12月1日 秋津洲砲術長
大正6(1917)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正8(1919)年12月1日 海軍少佐 海軍軍令部出仕/参謀
大正9(1920)年12月1日 スイス共和国駐在被仰付
大正9(1920)年12月7日 ドイツ共和国駐在被仰付
大正11(1922)年8月1日 平和条約実施委員
大正12(1923)年2月15日 免平和条約実施委員
大正12(1923)年2月20日 命帰朝
大正12(1923)年6月11日 陸奥運用長/分隊長
大正12(1923)年12月1日 海軍中佐
大正13(1924)年1月10日 海軍軍令部出仕
大正13(1924)年2月5日 東宮武官侍従武官
大正15(1926)年12月1日 第一艦隊参謀/聯合艦隊参謀
昭和2(1927)年11月15日 海軍軍令部出仕/海軍大学校教官
昭和2(1927)年12月1日 海軍大佐 海軍大学校教官/陸軍大学校兵学教官
昭和4(1929)年11月30日 加古艦長
昭和5(1930)年6月18日 海軍軍令部参謀/参謀本部部員(一班一課長)
昭和7(1932)年9月13日 海軍軍令部参謀
昭和7(1932)年12月1日 金剛艦長
昭和8(1933)年11月15日 海軍少将 海軍大学校教頭
昭和10(1935)年3月15日 聯合艦隊参謀長/第一艦隊参謀長
昭和10(1935)年11月15日 軍令部出仕
昭和10(1935)年12月2日 軍令部第一部長
昭和12(1937)年11月20日 軍令部第一部長/大本営海軍部参謀
昭和12(1937)年12月1日 海軍中将
昭和13(1938)年12月15日 第五艦隊司令長官
昭和14(1939)年9月29日 軍令部出仕
昭和14(1939)年10月21日 軍令部次長
昭和16(1941)年9月1日 第二艦隊司令長官
昭和18(1943)年4月29日 海軍大将
昭和18(1943)年8月9日 軍事参議官
昭和18(1943)年12月1日 支那方面艦隊司令長官
昭和20(1945)年5月15日 軍事参議官
昭和20(1945)年9月5日 予備役被仰付
昭和28(1953)年2月19日 死去 (66)