遠藤喜一

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遠藤喜一(えんどう・よしかず Endo Yoshikazu 明治24(1891)年8月8日 - 昭和19(1944)年5月3日)は、日本の海軍軍人海軍大将東京府出身。海軍兵学校第39期生(148名中7位)、海軍大学校第21期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治24(1891)年8月8日
明治44(1911)年7月18日 海軍少尉候補生 阿蘇乗組
明治45(1912)年3月29日 敷島乗組
大正元(1912)年12月1日 海軍少尉 出雲乗組
大正2(1913)年9月26日 吾妻乗組
大正3(1914)年9月5日 石見乗組
大正3(1914)年12月1日 海軍中尉 海軍砲術学校普通科学生
大正4(1915)年5月26日 海軍水雷学校普通科学生
大正4(1915)年12月13日 吹雪乗組
大正5(1916)年12月1日 扶桑乗組
大正6(1917)年10月10日 扶桑分隊長心得
大正6(1917)年12月1日 海軍大尉 海軍大学校乙種学生
大正7(1918)年4月15日 海軍砲術学校高等科学生
大正7(1918)年12月1日 常磐分隊長
大正8(1919)年2月21日 待命被仰付
大正8(1919)年4月1日 朝日分隊長/海軍砲術学校教官
大正8(1919)年8月18日 常磐分隊長
大正9(1920)年6月2日 長門分隊長/艤装員
大正9(1920)年12月1日 長門副砲長/分隊長
大正10(1921)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正12(1923)年10月15日 海軍軍令部出仕
大正12(1923)年12月1日 海軍少佐 呉海兵団分隊長/教官
大正13(1924)年4月21日 呉鎮守府参謀
大正14(1925)年12月1日 鬼怒砲術長
大正15(1926)年12月1日 海軍軍令部出仕(三班五課)
昭和元(1926)年12月27日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和2(1927)年2月15日 海軍軍令部出仕
昭和2(1927)年4月1日 ドイツ共和国駐在被仰付
昭和2(1927)年12月1日 海軍中佐
昭和4(1929)年4月1日 命帰朝
昭和4(1929)年6月15日 海軍大学校教官
昭和5(1930)年12月1日 長良副長
昭和6(1931)年5月1日 海軍軍令部出仕
昭和6(1931)年6月1日 在ドイツ共和国帝国大使館附海軍武官海軍艦政本部造船造兵監督官/海軍航空本部造兵監督官
昭和6(1931)年12月1日 海軍大佐
昭和9(1934)年6月1日 命帰朝
昭和9(1934)年9月1日 軍令部出仕
昭和9(1934)年11月1日 鬼怒艦長
昭和10(1935)年11月15日 軍令部出仕
昭和10(1935)年12月2日 侍従武官軍事参議院幹事
昭和12(1937)年11月15日 侍従武官
昭和12(1937)年12月1日 海軍少将
昭和13(1938)年12月15日 軍令部出仕
昭和13(1938)年12月24日 在ドイツ共和国帝国大使館附海軍武官海軍艦政本部造船造兵監督長
昭和15(1940)年9月2日 命帰朝
昭和15(1940)年12月2日 横須賀鎮守府参謀長
昭和15(1940)年12月4日 横須賀鎮守府参謀長/横須賀海軍通信部
昭和16(1941)年10月15日 海軍中将 軍令部出仕
昭和16(1941)年11月1日 海軍省軍務局御用掛/総力戦研究所
昭和18(1943)年3月9日 第一遣支艦隊司令長官
昭和18(1943)年8月20日 軍令部出仕
昭和18(1943)年11月15日 第九艦隊司令長官
昭和19(1944)年5月3日 海軍大将 戦死 (52)