野村直邦

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野村直邦(のむら・なおくに Nomura Naokuni 明治18(1885)年5月15日 - 昭和48(1973)年12月12日)は、日本の海軍軍人海軍大将鹿児島県出身。海軍兵学校第35期生(172名中43位)、海軍大学校第18期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治18(1885)年5月15日
明治40(1907)年11月20日 海軍少尉候補生 厳島乗組
明治41(1908)年7月28日 鹿島乗組
明治41(1908)年12月25日 海軍少尉
明治42(1909)年4月29日 弥生乗組
明治42(1909)年5月25日 神風乗組
明治42(1909)年11月16日 横須賀海兵団
明治42(1909)年12月25日 海軍砲術学校普通科学生
明治43(1910)年4月20日 海軍水雷学校普通科学生
明治43(1910)年7月31日 呉海兵団
明治43(1910)年9月1日 安芸乗組
明治43(1910)年12月1日 海軍中尉
明治44(1911)年10月18日 龍田乗組
明治44(1911)年12月11日 千代田乗組
明治45(1912)年1月22日 満洲乗組
明治45(1912)年3月28日 第三艦隊
大正元(1912)年9月27日 阿蘇乗組
大正元(1912)年12月1日 海軍大学校乙種学生
大正2(1913)年5月24日 海軍水雷学校高等科学生
大正2(1913)年12月1日 海軍大尉 子日乗組
大正4(1915)年2月18日 海軍艦政本部艤装員
大正4(1915)年3月1日 乗組/海軍艦政本部艤装員
大正4(1915)年4月4日 乗組
大正5(1916)年12月1日 白雲駆逐艦長
大正6(1917)年12月1日 第二戦隊参謀
大正7(1918)年7月23日 第一戦隊参謀
大正7(1918)年8月20日 第二戦隊参謀
大正7(1918)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正8(1919)年12月1日 海軍少佐
大正9(1920)年12月1日 第一潜水戦隊参謀
大正10(1921)年11月26日 海軍軍令部参謀
大正10(1921)年12月10日 海軍軍令部参謀/海軍教育本部部員
大正11(1922)年8月10日 ドイツ共和国駐在被仰付
大正13(1924)年9月25日 命帰朝
大正13(1924)年12月1日 海軍中佐
大正14(1925)年1月15日 第十六潜水隊司令
大正14(1925)年10月20日 海軍艦政本部部員
昭和2(1927)年4月15日 ジュネーヴ軍縮会議全権随員
昭和3(1928)年12月10日 海軍大佐 長鯨艦長
昭和4(1929)年5月1日 在ドイツ共和国帝国大使館附海軍武官海軍艦政本部造船造兵監督官/海軍航空本部造兵監督官
昭和6(1931)年6月1日 命帰朝
昭和6(1931)年10月10日 羽黒艦長
昭和8(1933)年2月24日 加賀艦長
昭和8(1933)年10月20日 呉鎮守府
昭和8(1933)年11月15日 海軍潜水学校
昭和9(1934)年11月15日 海軍少将 第二潜水戦隊司令官
昭和10(1935)年11月15日 聯合艦隊参謀長/第一艦隊参謀長
昭和11(1936)年11月16日 軍令部出仕
昭和11(1936)年12月1日 軍令部第三部長
昭和12(1937)年11月20日 軍令部第三部長/大本営海軍部参謀
昭和13(1938)年4月25日 在中華民国帝国大使館附海軍武官/臨時支那方面艦隊司令部附/臨時海軍特務部
昭和13(1938)年11月15日 海軍中将
昭和14(1939)年3月15日 在中華民国帝国大使館附海軍武官上海在勤海軍部官臨時海軍特務部
昭和14(1939)年10月26日 軍令部出仕
昭和14(1939)年11月15日 第三遣支艦隊司令長官
昭和15(1940)年9月30日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和15(1940)年11月13日 欧州出張被仰付(三国同盟軍事委員)
昭和18(1943)年3月1日 帰朝
昭和18(1943)年8月9日 軍事参議官
昭和18(1943)年10月20日 呉鎮守府司令長官
昭和19(1944)年3月1日 海軍大将
昭和19(1944)年7月17日 海軍大臣
昭和19(1944)年7月22日 軍事参議官
昭和19(1944)年8月2日 横須賀鎮守府司令長官/海上護衛司令長官海軍将官会議議員
昭和19(1944)年9月15日 海上護衛司令長官
昭和20(1945)年5月1日 軍事参議官大本営海運総監
昭和20(1945)年10月10日 待命被仰付
昭和20(1945)年10月15日 予備役被仰付
昭和48(1973)年12月12日 死去 (88)

在任