野間口兼雄

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

野間口兼雄(のまぐち・かねお Nomaguchi Kaneo 慶応2年2月14日(1866年3月30日) - 昭和18(1943)年12月24日)は、日本の海軍軍人海軍大将鹿児島県出身。海軍兵学校第13期生海軍大学校甲号第5期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
慶応2年2月14日(1866年3月30日)
明治19(1886)年12月10日 海軍兵学校卒業
明治20(1887)年2月20日 海軍少尉候補生 龍驤乗組
明治20(1887)年10月10日 扶桑乗組
明治21(1888)年4月21日 海軍少尉
明治21(1888)年4月23日 武蔵分隊士
明治21(1888)年11月15日 海門航海士
明治22(1889)年5月15日 浪速航海士
明治23(1890)年7月9日 赤城航海長心得
明治24(1891)年12月14日 海軍大尉 赤城航海長
明治25(1892)年12月21日 高雄航海長
明治26(1893)年12月9日 八重山航海長/分隊長
明治27(1894)年5月5日 龍田回航委員
明治27(1894)年6月5日 龍田航海長(連合王国出張)
明治27(1894)年7月13日 警備艦隊参謀
明治27(1894)年7月19日 西海艦隊参謀
明治28(1895)年9月6日 金剛航海長兼分隊長
明治28(1895)年12月7日 金剛分隊長
明治29(1896)年11月6日 富士回航委員(連合王国出張)
明治29(1896)年11月21日 富士分隊長
明治30(1897)年10月31日 帰着
明治30(1897)年12月1日 海軍少佐 吉野航海長
明治31(1898)年4月29日 海軍大学校選科学生
明治32(1899)年8月8日 海軍省軍務局軍事課課僚
明治33(1900)年5月20日 海軍教育本部部員/海軍省軍務局課員
明治33(1900)年9月25日 海軍中佐
明治34(1901)年6月18日 連合王国駐在
明治36(1903)年4月18日 命帰朝
明治36(1903)年9月17日 海軍省副官/海軍大臣秘書官
明治37(1904)年1月12日 海軍省副官/海軍大臣秘書官/海軍省文庫主管
明治38(1905)年1月12日 海軍大佐
明治39(1906)年4月7日 高千穂艦長
明治39(1906)年10月12日 松島艦長
明治40(1907)年9月28日 浅間艦長
明治40(1907)年12月10日 海軍省軍務局局員/臨時建築部部員
明治41(1908)年8月29日 海軍省軍務局局員/臨時建築部部員/海軍省副官
明治42(1909)年12月1日 海軍少将 第一艦隊参謀長
明治44(1911)年3月11日 佐世保鎮守府参謀長
明治44(1911)年9月21日 海軍砲術学校
明治45(1912)年4月20日 呉鎮守府参謀長
大正2(1913)年1月10日 海軍省軍務局長/海軍将官会議議員
大正3(1914)年4月17日 呉海軍工廠
大正3(1914)年5月29日 海軍中将
大正4(1915)年12月13日 第六戦隊司令官
大正5(1916)年12月1日 海軍兵学校
大正7(1918)年12月1日 舞鶴鎮守府司令長官
大正8(1919)年12月1日 第三艦隊司令長官
大正9(1920)年8月16日 海軍大将
大正9(1920)年12月1日 海軍教育本部長/海軍将官会議議員
大正12(1923)年4月1日 軍事参議官
大正12(1923)年5月15日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
大正13(1924)年2月5日 軍事参議官
大正13(1924)年3月10日 待命被仰付
大正13(1924)年3月20日 予備役被仰付
昭和6(1931)年2月14日 後備役被仰付
昭和11(1936)年2月14日 退役被仰付
昭和18(1943)年12月24日 逝去 (77)