青葉級重巡洋艦 (日本海軍, 1926)

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概説

 青葉級重巡洋艦は古鷹級の改良型で、船型は基本的に古鷹級と同一である。その最大の相違点は古鷹級が主砲の20センチ砲6門を単装砲塔6基に収めて前後に3基ずつ装備したのに対し、青葉級では連装砲塔3基として前部に2基、後部に1基配置した点である。さらに高角砲を古鷹級の8センチ砲から12センチ砲に増強し、また航空装備のスペースを作り出すため後檣の装備位置が前方に移された。古鷹級ものちに砲塔と高角砲を青葉級と同様に改装している(後檣装備位置は変更がない)ため、青葉級は古鷹級を改良したものと言われている。しかし設計者たる平賀の原案では古鷹級も青葉級のように連装砲塔を装備するよう計画されていたが、連装砲塔の開発が間に合わなかったために単装砲塔で忍んだとも考えられる。支那事変初期の第二次上海事変で支援任務に就いたのち、青葉級は昭和13年から改装を施されたが、古鷹級の改装に比べれば小規模なものだった。太平洋戦争では青葉級は古鷹級とともに南洋方面の攻略作戦に参加したのち、もっぱら南東方面にあって陸上部隊の進出を支援していた。米軍のガダルカナル上陸により、この南東方面が日米の作戦正面となり、青葉級も激戦の中に放り込まれた。第一次ソロモン海戦をはじめとするガ島をめぐる夜戦にいくつも参加し、10月11日に発生したサボ島沖夜戦では米艦隊を味方と誤認した上、相手はレーダーにより日本艦隊を把握しており、一方的な攻撃を受けて大損害を被った。この際旗艦だった青葉は大破、第六戦隊司令官の五藤少将は艦橋上で戦死した。青葉は前檣が倒壊するなどの大損害を受けて内地に帰還、呉工廠で修理が施された。衣笠はその後第三次ソロモン海戦においてガ島輸送部隊を護衛中に米軍機の攻撃を受けて沈没した。青葉は修理なって南東方面に再進出した。そのときには同型艦衣笠も準同型艦の古鷹・加古も南東方面に沈んでいた。ただ1隻残った青葉はしかし復帰早々の4月3日にニューアイルランドに在泊中米軍機の攻撃を受け大破着底、またも長期間の修理を余儀なくされた。のち比島沖海戦に参加したがマニラ附近で米潜水艦の雷撃を受け3度目の損傷を被った。以後青葉は呉附近にあって繋留されていたが終戦直前に米軍機の攻撃を受け大破着底する。こうして幾度も損傷を被りながらその都度復活してきた青葉もついにとどめを刺された。青葉は戦後浮揚されて解体。

主要目

竣工時 (1927)

排水量: 基準 7100t, 公試 8760t
長さ: 垂線間長 177.48m, 水線長 183.58m, 全長 185.17m
全幅: 15.38m
喫水: 5.71m
機関: (青葉) 4軸 三菱パーソンズ式減速タービン(高低圧) 4基, ロ号艦本式缶 12基 (重油専焼 10, 混焼 2), 102,000shp
(衣笠) 4軸 川崎ブラウンカーチス式減速タービン(高低圧) 4基, ロ号艦本式缶 12基 (重油専焼 10, 混焼 2), 102,000shp
燃料: 重油 1800t, 石炭 450t
速力: 34.5ノット
装甲: 水線帯 75mm, 甲板 35mm, 砲塔 25mm
兵装: 20cm/50口径砲 連装3基 6門, 12cm/45口径対空砲 単装4基 4門, 機関銃 2挺, 61cm魚雷発射管 連装6基 12門, 航空機 1機
乗員: 625

改装後 (1938)

排水量: 基準 9000t, 公試 10,651t
全幅: 17.6m
喫水: 5.66m
速力: 32ノット
兵装: 20cm/50口径砲 連装3基 6門, 12cm/45口径対空砲 単装4基 4門, 25mm対空機銃 8門, 13.2mm対空機銃 4門, 61cm魚雷発射管 四連装2基 8門, 航空機 2機

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
大12 青葉 Aoba 三菱長崎 1924.02.04 1926.09.25 1927.09.20 一等巡洋艦 1945.07.28 大破着底 (航空攻撃)
1945.11.20 除籍
大12 衣笠 Kinugasa 川崎造船所 1924.01.23 1926.10.24 1927.09.30 一等巡洋艦 1942.11.24 戦没 (航空攻撃)
1942.12.15 除籍
ガダルカナル島沖