飯田延太郎

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飯田延太郎(いいだ・のぶたろう Iida Nobutaro 明治8(1875)年2月13日 - 昭和13(1938)年11月3日)は、日本の海軍軍人海軍中将徳島県出身。海軍兵学校第24期生(18名中4位)、海軍大学校第5期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治8(1875)年2月13日
明治30(1897)年10月8日 海軍少尉候補生 比叡乗組
明治30(1897)年11月5日 鎮遠乗組
明治31(1898)年4月1日 海軍少尉
明治31(1898)年6月9日 大和乗組
明治31(1898)年9月1日 橋立乗組
明治32(1899)年8月16日 常磐乗組
明治32(1899)年9月29日 海軍中尉
明治32(1899)年12月25日 八雲乗組/回航委員(ドイツ帝国出張被仰付)
明治33(1900)年8月30日 帰着
明治33(1900)年9月25日 乗組
明治34(1901)年4月1日 大島航海長心得/分隊長心得
明治34(1901)年7月20日 大島航海長心得
明治34(1901)年10月1日 海軍大尉 大島航海長
明治34(1901)年11月13日 大島航海長/分隊長
明治35(1902)年3月14日 高砂分隊長
明治35(1902)年8月5日 朝潮乗組
明治36(1903)年1月23日 竹敷要港部第一水雷艇隊艇長
明治36(1903)年9月14日 第十四艇隊艇長
明治38(1905)年4月5日 朝霧艦長
明治38(1905)年12月12日 朝霧駆逐艦長
明治39(1906)年1月25日 海軍大学校甲種学生
明治39(1906)年9月28日 海軍少佐
明治40(1907)年12月18日 第二十一艇隊司令/艇長
明治41(1908)年4月20日 南清艦隊参謀
明治41(1908)年7月22日 海軍水雷学校教官/練習艇隊司令
明治41(1908)年12月10日 海軍水雷学校教官/練習艇隊司令/海軍砲術学校教官
明治43(1910)年4月1日 海軍水雷学校教官/第四艇隊司令/海軍砲術学校教官
明治43(1910)年12月1日 海軍大学校教官/海軍軍令部参謀
明治44(1911)年12月1日 海軍中佐
明治45(1912)年4月1日 海軍大学校教官/海軍軍令部参謀/海軍教育本部出仕
大正元(1912)年12月1日 海軍教育本部部員/海軍大学校教官/海軍軍令部参謀
大正2(1913)年12月1日 第二駆逐隊司令
大正4(1915)年5月1日 海軍水雷学校教官
大正5(1916)年2月17日 海軍教育本部出仕
大正5(1916)年4月1日 海軍大佐
大正5(1916)年7月1日 連合王国駐在被仰付
大正6(1917)年9月10日 命帰朝
大正7(1918)年2月25日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
大正7(1918)年4月9日 薩摩艦長
大正7(1918)年6月1日 筑摩艦長
大正7(1918)年7月5日 吾妻艦長
大正8(1919)年8月5日 敷島艦長
大正8(1919)年11月20日 長門艤装員長
大正9(1920)年3月2日 長門艦長
大正10(1921)年12月1日 海軍少将 海軍軍令部出仕(一班)
大正11(1922)年8月1日 佐世保防備隊司令
大正11(1922)年12月1日 第二水雷戦隊司令官
大正13(1924)年12月1日 海軍水雷学校
大正14(1925)年8月1日 馬公要港部司令官
大正14(1925)年12月1日 海軍中将
昭和2(1927)年12月1日 海軍軍令部出仕
昭和3(1928)年5月16日 舞鶴要港部司令官
昭和3(1928)年12月10日 佐世保鎮守府司令長官
昭和4(1929)年11月11日 第二艦隊司令長官
昭和5(1930)年12月1日 海軍軍令部出仕
昭和6(1931)年3月20日 待命被仰付
昭和6(1931)年3月31日 予備役被仰付
昭和12(1937)年2月13日 後備役被仰付
昭和13(1938)年11月3日 死去 (63)