黒井悌次郎

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黒井悌次郎(くろい・ていじろう Kuroi Teijiro 慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和12(1937)年4月29日)は、日本の海軍軍人海軍大将山形県出身。海軍兵学校第13期生(36名中4位)、海軍大学校甲号第5期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
慶応2年5月22日(1866年7月4日)
明治16(1883)年8月10日 海軍兵学校入校
明治19(1886)年12月10日 海軍兵学校学術課程卒業
明治20(1887)年2月20日 海軍少尉候補生 龍驤乗組
明治20(1887)年10月10日 高千穂乗組
明治21(1888)年4月21日 海軍少尉
明治21(1888)年4月23日 高千穂分隊士
明治21(1888)年11月15日 高千穂航海士
明治23(1890)年1月10日 千代田分隊士/千代田回航委員(連合王国出張)
明治24(1891)年4月11日 帰着
明治24(1891)年4月21日 武蔵分隊長心得
明治24(1891)年12月14日 海軍大尉 武蔵分隊長
明治25(1892)年12月21日 海軍大学校甲号学生
明治26(1893)年12月19日 海軍軍令部出仕
明治27(1894)年9月20日 海軍軍令部出仕/戦時大本営御用掛
明治27(1894)年9月24日 海軍軍令部出仕/戦時大本営運輸通信部附
明治27(1894)年9月29日 海軍軍令部出仕/戦時大本営運輸通信部仁川運輸通信支部員
明治27(1894)年11月7日 海軍軍令部出仕/戦時大本営運輸通信部漁隠洞運輸通信支部部員
明治27(1894)年12月28日 海軍軍令部出仕/戦時大本営運輸通信部大連湾運輸通信支部部員
明治28(1895)年3月19日 海軍軍令部第一局局員
明治29(1896)年4月1日 海軍軍令部第二局局員
明治30(1897)年8月27日 常備艦隊参謀
明治30(1897)年12月1日 海軍少佐
明治31(1898)年12月3日 海軍大臣秘書官
明治32(1899)年5月25日 海軍省副官/海軍大臣秘書官
明治32(1899)年6月17日 海軍省副官/海軍大臣秘書官/海軍省軍務局軍事課課僚
明治32(1899)年9月29日 海軍中佐
明治33(1900)年1月25日 連合王国駐在
明治33(1900)年5月20日 造船造兵監督官(連合王国駐在)
明治33(1900)年9月28日 連合王国駐在
明治34(1901)年12月10日 命帰朝
明治35(1902)年5月8日 笠置副長
明治36(1903)年2月18日 敷島副長
明治36(1903)年7月3日 佐世保鎮守府参謀/望楼監督官/副官
明治36(1903)年10月15日 佐世保鎮守府参謀/望楼監督官
明治37(1904)年6月6日 香港丸乗組
明治38(1905)年1月12日 海軍大佐 旅順口海軍工作廠
明治38(1905)年12月12日 海軍軍令部出仕
明治39(1906)年2月7日 在ロシア帝国帝国公使館附海軍武官
明治41(1908)年2月20日 命帰朝
明治41(1908)年5月1日 在ロシア帝国帝国大使館附海軍武官
明治41(1908)年7月29日 帰朝
明治41(1908)年8月28日 敷島艦長
明治42(1909)年12月1日 海軍少将 佐世保海軍工廠
明治45(1912)年4月20日 舞鶴予備艦隊司令官
大正2(1913)年4月1日 舞鶴鎮守府艦隊司令官
大正2(1913)年5月24日 海軍将官会議議員/海軍省出仕
大正2(1913)年12月1日 練習艦隊司令官
大正3(1914)年5月29日 海軍中将
大正3(1914)年8月18日 横須賀海軍工廠長/横須賀鎮守府艦隊司令官
大正4(1915)年12月13日 馬公要港部司令官
大正5(1916)年12月1日 旅順要港部司令官
大正7(1918)年12月1日 第三艦隊司令長官
大正8(1919)年12月1日 舞鶴鎮守府司令長官
大正9(1920)年8月16日 海軍大将 海軍将官会議議員
大正10(1921)年4月1日 待命被仰付
大正10(1921)年12月1日 予備役被仰付
昭和6(1931)年5月21日 後備役被仰付
昭和11(1936)年5月21日 退役被仰付
昭和12(1937)年4月29日 逝去 (70)