武富邦鼎

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武富邦鼎(たけとみ・くにかね Taketomi Kunikane 嘉永5年11月9日(1852年12月19日) - 昭和6(1931)年2月17日)は、日本の海軍軍人海軍中将佐賀県出身。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官など
嘉永5年11月9日(1852年12月19日)
明治5年1月15日(1872年2月23日) 砲術生徒
明治8(1875)年11月9日 上頭一級生徒
明治10(1877)年2月10日 海軍少尉補 海軍省水路局出勤
明治10(1877)年2月12日 海軍省水路局測量課観象台詰
明治10(1877)年6月12日 海軍省水路局測量課量地掛
明治11(1878)年3月28日 天城乗組
明治12(1879)年4月12日 海軍省水路局測量課観象台詰
明治12(1879)年11月26日 海軍少尉
明治13(1880)年1月9日 迅鯨乗組
明治15(1882)年3月2日 富士山乗組
明治16(1883)年2月7日 筑波乗組
明治16(1883)年6月26日 富士山乗組
明治16(1883)年11月5日 海軍中尉
明治17(1884)年1月21日 海門乗組
明治17(1884)年10月15日 海門分隊長
明治18(1885)年12月25日 龍驤分隊長
明治19(1886)年4月12日 比叡分隊長
明治19(1886)年6月17日 海軍大尉
明治19(1886)年7月14日 参謀本部海軍部第三局課員
明治20(1887)年10月8日 横須賀鎮守府参謀
明治22(1889)年5月15日 大和分隊長
明治23(1890)年1月20日 浪速分隊長
明治24(1891)年1月19日 海軍参謀部出仕
明治24(1891)年2月13日 在朝鮮帝国公使館附海軍武官
明治26(1893)年2月14日 命帰朝
明治26(1893)年3月31日 海軍参謀部出仕
明治26(1893)年5月20日 佐世保鎮守府参謀
明治26(1893)年12月19日 横須賀鎮守府参謀
明治26(1893)年12月26日 海軍少佐
明治27(1894)年11月2日 横須賀鎮守府参謀/海岸望楼監督官
明治28(1895)年7月25日 海軍軍令部出仕
明治28(1895)年8月9日 台湾総督府参謀
明治29(1896)年2月26日 和泉副長
明治29(1896)年8月7日 松島副長
明治30(1897)年2月18日 赤城艦長
明治30(1897)年12月1日 海軍中佐
明治31(1898)年6月1日 東宮武官
明治31(1898)年10月1日 海軍大佐
明治34(1901)年7月6日 磐手艦長
明治38(1905)年1月12日 海軍少将 第三艦隊司令官 (第五戦隊)
明治38(1905)年6月14日 第四艦隊司令官
明治38(1905)年11月13日 第三艦隊司令官 (第六戦隊)
明治38(1905)年12月20日 南清艦隊司令官
明治39(1906)年11月22日 海軍省軍務局長/将官会議議員
明治41(1908)年5月15日 大湊要港部司令官
明治41(1908)年8月28日 待命被仰付
明治42(1909)年8月27日 海軍中将
予備役被仰付
大正3(1914)年3月1日 退役被仰付
昭和6(1931)年2月17日 没 (78)